群馬県の朝鮮人追悼碑「記憶 反省 そして友好」20184

 

 群馬県高崎市に群馬県立公園「群馬の森」がある。そのなかに、「記憶 反省 そして友好」の追悼碑がある。この碑は、2004424日に、「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会によって建てられた。碑の裏側には「追悼碑建立にあたって」の題で、つぎのように記されている。

 「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のなか、政府の労務動員政策により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。

  21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好野発展を願うものである。」 

 この追悼碑文は「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会が群馬県と協議するなかで作成されたものであった。追悼碑を建てる会は追悼碑を守る会となり、毎年4月、碑の前で追悼集会を持ってきたが、右派はネットなどで集会を「反日」などと批難しはじめた。群馬県は右派の主張を批判することなく、追悼碑の設置期間が10年で切れる段階で、碑の前での追悼集会での「強制連行」などの発言が政治的であるなどとし、20147月、碑の更新不許可を決め、その撤去を求めたのである。

 追悼碑を守る会はこの動きに対し、群馬県による不許可処分の取り消しと設置期間更新の許可を求めて、201411月、前橋地方裁判所へと行政訴訟を起こした。訴訟は提訴から3年、16回の口頭弁論を経て、201710月に結審した。20182月、前橋地裁は県の更新不許可を裁量権の逸脱で違法とし、期間更新許可については期間・条件を県の裁量権の範囲内とし、守る会の請求を却下した。判決内容では、追悼集会での強制連行などの発言を政治的とし、許可条件に違反するとするなど問題があった。この判決に対し、県は控訴したため、守る会は付帯控訴し、裁判は東京高裁で争われることになった。

 群馬県での朝鮮人強制連行・強制労働の主な現場には、鉱山では小串鉱山、根羽沢鉱山、群馬鉱山、軍需工場では大同製鋼、中島飛行機太田工場、中島飛行機の薮塚、後閑、多野などの地下工場建設、吾妻線工事などがある。おおくの朝鮮人が動員されたことは史実である。

強制連行はすでに歴史教科書で史実とされていることがらである。碑の前で、その史実について語ることが「政治的」とされ、追悼碑の設置更新拒否の理由とされている。歴史歪曲の悪質な宣伝の前に群馬県が屈服し、県がそれと同様の論理を展開するに至っている。

追悼碑は群馬の森の語らいの丘の北方、道に面し、木々に囲まれている。森のなかの碑は景観を破壊するものでも、政治性を示すものでもない。

碑をみながら、なぜ群馬県行政が朝鮮半島の植民地支配とそこでの強制動員の事実を反省できないのだろう、歴史の歪曲に加担する行為を批判する者が行政にはいないのだろうかと思った。                               ()