クロネコとイタリアン      生駒孝子

 

 

20年振りにかつてのママ友たちがちょっと贅沢なランチで

お喋りを楽しむことになった

クロネコとイタリアン

店の壁にはクロネコのシルエット

 

まずはもちろん幼い孫たちの話に小皺も気にせず頬が緩む

一巡すれば相変わらず情報通のWさんが主導する

どこどこさんちの誰々ちゃんが何の仕事をしていて

何人のパパさんになった、こちらはくっついた離れたetc.

クロネコも目を剥く情報量だ

 

クロネコとイタリアン

メインデイッシュが運ばれる頃には噂話もひと段落

50代前半でご主人に先立たれたMさんが

「ねえちょっと聞いてよ」と待ちかねたように話し出す

「60歳になったから年金事務所に相談に行ったら

なんと再婚を勧められちゃったのよ」

「えー?」驚愕のハーモニーにクロネコのシッポもビリビリする

「担当の人もこれっぽっちの年金じゃ大変でしょうと思って

心配してくれたんだろうけどびっくりしたわ」

「夫婦揃って健康で長生きしてやっと暮らせるくらいよね」

「そうそう、パートの私たちじゃあもし先立たれたら夫の年金の

6割だけで暮らすの厳しいわよね」とふたりが声を揃える

1番若い独身正社員Tさんは「アテにならない男より自分で

アテにならない年金を積むほうがまだマシだわ」

彼女の呟きに苦笑いしたクロネコはオスだったのかもしれない

 

クロネコとイタリアン

エスプレッソとシフォンケーキが運ばれる頃には

美味しいものとファッションの話に花を咲かせるイマ時

シニア新入生にクロネコが首を竦めていたかはわからない

「フォーマットをお勧めします」   生駒孝子

 

 

最近は多くのトラックにカメラと音声録音機が取り付け

られている

カメラは事故や盗難被害時の証拠として外に向けて付けられ

音声録音機はブラックボックス的な役割ということになろう

 

カメラは仕方ないとして音声録音機は窮屈極まりない

食事も休憩も車内の運転手には他に逃げ場はないのだ

どんなラジオを聴いて泣いたり笑ったりツッコミを入れたり

しているか

ひどい割り込み運転に遭い独り言で発散するのも気がひける

同僚との電話でうっかり上司の悪口も言えない

家族や友人との気の置けない会話も何だかぎこちなく

誰にも聞かせたくない音だってたまにはあったりする

 

導入時運転手たちは当然アレルギーを示した

しかし上司たちは「自分たちもそんなに暇じゃない

事故とか何かあった時にしかチェックしない」と説得した

そんな言葉を全て信じた訳ではなくても受け入れざるを得ない

実際当て逃げ事故を起こしてしまった元同僚の音声は

彼の動揺を見事に再現したらしい

 

しかし運転手にもひとつだけ救いがある

それは「フォーマット」

データがいっぱいになると更新する機能だ

どうしても残したくない音声はガイダンス前だって

更新ボタンを押してこちらも応戦する

 

ある日事故を疑われる事案の直後フォーマットされると

いう事件がおこった

「これからはガイダンスが流れたら上司に報告して

から消去するように」というお触れが出た

しかし24時間体制で動いている運送業、報告を受ける側が

音を上げて消滅したようだ

 

導入から10年近くの歳月が流れ滅多に事前フォーマットを

することもなくなった

退職後私の声を懐かしく聞いてくれる人があるだろうか

などと想像するようになったのはトシのせいか

こんな感性こそフォーマットしなければならぬものかも

しれない