福岡県の朝鮮人強制連行 −北九州への連行と八幡の産業遺産問題

 

はじめに

 きょうは、福岡県の戦時の強制連行数について示し、北九州での連行場所や明治日本の産業革命遺産のひとつとされた八幡製鉄所での連行の状況についてみていきます。ここでいう朝鮮人強制連行とは日本政府の労務動員政策によって1939年から45年にかけて、募集や官斡旋、徴用の名で労務動員された人びとのことです。軍務の動員もあったのですが、ここでは主に労務動員についてみます。

1 福岡県の朝鮮人強制連行数

県知事事務引継書171000

はじめに、福岡県知事の「事務引継書」から、福岡県への朝鮮人の連行者数についてみます。事務引継書には「集団移入」や「移入」の文字が出てきますが、これは連行された朝鮮人のことです。

1945年6月の福岡県の「事務引継書」には、「移入労務者移入数並ニ現在数」が示されています。これは、福岡県協和会関係の文書にあるのですが、45年1月現在までの集団移入数を15万6213人としています。このうち石炭など、鉱山労働者が14万人以上います。また、半数以上が逃亡していることも特徴です。動員はさらにすすめられ、興生会関係の史料からは、1945年第1・4半期分として45年3月までに1万2989人が移入されたことがわかります。

1945年10月の福岡県「事務引継書」では、1945年6月現在で、朝鮮人移入数を約17万1000人とし、在留朝鮮人数を約19万8000人と記しています。

このような記事から、福岡県への朝鮮人の集団移入は1945年6月までに17万人を超えたことが判明します。また、戦争末期、福岡県での在留朝鮮人数は20万人近くなったことがわかります。日本への集団移入数は約70万人ですので、福岡県の連行者数はその25%近くを占めるわけです。福岡県への動員者17万人のうち、石炭・鉱山への動員数は15万人を超えたとみられます。石炭・鉱山には、現在数で5万人の連行朝鮮人が存在する状況になったのです。

 

1−1 福岡県朝鮮人強制連行数・19451月末現在

種別

移入数

現在数

逃走数

鉱山

141921

50351

76267

工場

7365

4176

3077

土建運輸

6752

2912

2944

合計

156213

57447

82448

福岡県「事務引継書」(19456月)所収「移入労務者移入数並ニ現在数」(協和会関係文書)から作成。合計数は一致せず。

1−2 福岡県石炭労働者内訳19453月現在

内地人

119929

内既住半島人4590

集団移入半島人

52534

内新規徴用約9800

華人

5047

 

俘虜

5490

 

勤労報国隊

9270

 

女子挺身隊

349

 

合計

195860

 

福岡県「事務引継書」(19456月)所収・国民動員関係文書から作成

知事引継書とは別に、福岡県協和会による1943年12月末現在の「半島人移入労務者動態調」という史料があります(『協和会関係資料集W』所収)。この史料からは1939年から43年までの福岡県への年別の集団移入数、鉱山・工場・土建運輸の分野別の移入数がわかります。1939年に6062人、40年に1万6799人、41年に1万3979人、42年に3万6750人、43年に3万6436人が連行されています。43年12月までに11万人を超える朝鮮人が福岡県に動員されたわけです。

 

 1−3 福岡県朝鮮人強制連行193944

年次

移入数

炭鉱・鉱山

土建他

工場

1939

6062

5562

500

0

1940

16799

16039

667

93

1941

13979

12782

1101

96

1942

36750

34684

806

1260

1943

36436

34753

287

1396

110177

103971

3361

2845

1944(予定)

61325

50525

3531

7269

「半島人移入労務者動態調」194312月末現在・福岡県協和会(『協和会関係資料集W』)から作成。1944年の数字は次の種村資料から。炭鉱の計は一致せず。移入数計は筆者による。この史料からも17万余の集団移入を知ることができる。

 

内務省内鮮警察史料約20万人

もう一つ、内務省警保局内鮮警察の史料があります。これは内務省の官僚だった種村一男資料のなかにあるのですが、「労務動員関係朝鮮人移住状況調」「新規移入朝鮮人労務者事業場別数調」などの統計表が入っています。これは朝鮮人を監視する内鮮警察が人員を確保するために作成した予算請求の史料です。予算請求のために動員された朝鮮人の道府県別の数、事業数などをあげています。ここには募集・官斡旋だけでなく、縁故募集による動員者が含まれています。そのため、知事引継書よりも動員数は多くなっていますが、労務動員は縁故募集も含めてとらえるべきでしょう。

その数をみれば、福岡県へは1939年に2万6976人、40年に2万6801人、41年に2万2382人、42年に3万7543人、43年に3万5657人となり、それまでの動員数は15万人ほどとなります。さらに44年の動員予定数は6万人ほどであり、実際に同数の動員がおこなわれていきますので、この史料では動員数が20万人を超えることになります。このうち縁故募集者は2万人ほどです。福岡県への朝鮮人の労務動員数を約20万人ということもできるわけです。全国への動員数は約80万人ほどになります。わたしはこの史料から労務動員数を約80万人としています。

このようにみてきますと、福岡県への朝鮮人の強制動員数は、福岡県知事の事務引継書からは約17万人、種村資料からは約20万人ということができます。

 

1−4 福岡県朝鮮人強制連行 内鮮警察・種村史料 

年度

動員予定

動員数

(うち縁故募集)

動員数累計

在留朝鮮人数

1939

19200

26976

(16196)

26976

83520

1940

24850

26801

(2830)

53777

116864

1941

21000

22382

85041.6末)

76159

136436

1942

35230

37543

 

113702

156038

1943

40900

35657

 

149359

172199

1944

61325

 

 

 

 

「朝鮮人労働者ノ内地移住状況」19416月末現在、「労務動員関係朝鮮人移住状況調」1943年末現在。「昭和19年度新規移入朝鮮人労務者事業場別数調」から作成(内務省警保局内鮮警察・種村史料)。41年の22382は途中から32382と記されている、ここでは累計とともに訂正。

 

福岡県協和会の組織 

連行された朝鮮人を監視した組織が福岡県協和会です。福岡県協和会の結成時、1939年には6万人ほどでしたが、1944年3月には18万人ほどの組織になりました。

福岡県知事の1944年7月の引継書「県政重要事項」には、厚生課の報告に協和会の記事があり、1944年3月時点での地域支会ごとの人数が記されています。炭鉱地帯でもっとも多いのが飯塚の3万2687人であり、田川は1万3912人、直方は1万4120人、折尾は1万5632人、大牟田は4479人です。北九州をみれば、門司1万1389人、小倉8128人、戸畑7725人、若松8064人、八幡1万6901人であり、これらを合計すると5万人を超えます。

北九州には朝鮮人の集住地が形成されました。工業地帯に労務動員された朝鮮人に加え、多くの朝鮮人が居住するようになったのです。

 

1−5 福岡県協和会組織1944.3

協和会支会 人数

 

門司

11389

飯塚

32687

西福岡

1800

甘木

2972

小倉

8128

田川

13912

二日市

1817

大牟田

4479

戸畑

7725

添田

1607

前原

2759

柳河

282

若松

8064

直方

14120

久留米

1285

181

八幡

16901

折尾

15632

松崎

707

若津

283

行橋

4453

東郷

1612

吉井

255

城島

347

八屋

2881

箱崎

10366

福島

1324

 

 

大隈

5946

福岡

7510

黒木

244

181674

福岡県「県政重要事項」(19447月)、厚生課の報告記事、協和会関係記事から作成。
181674人、このうち、123327 女58347

 

朝鮮人の動員現場

1944年7月の知事引継書「県政重要事項」には、警察部特別高等課の「移入半島人労務者ニ関スル調査表」があり、そこに「労務動員計画ニ依ル移入労務者事業場別調査表」が収録されています。この調査表は1944年1月現在の数字ですが、福岡県内の動員場所、動員数、逃亡数、死者数などが記されています。この時点で石炭山へと10万人を超える朝鮮人が動員され、半数が逃亡し、死者が688人に及んだことがわかります。

三井、三菱、住友、古河、日鉱などの財閥系企業とともに、麻生、貝島、明治などの筑豊の炭鉱会社にも数千人の規模で動員がなされたことがわかります。北九州の工業地帯にも八幡製鉄をはじめ、動員があったことがわかります。若松の事業所も記されています。

 

1−6 朝鮮人連行現場一覧19441

 動員先

移入数

逃走者

送還数

帰国数

現在員数

死亡数

発見再就労

既住朝鮮人

三井三池

2376

743

30

173

1520

15

105

85

三井田川

2652

746

5

103

1860

11

73

0

三井山野

5070

2233

54

503

2539

19

278

21

三菱新入

2938

1408

65

418

1272

20

245

80

三菱鯰田

3313

1393

68

439

1522

27

136

66

三菱方城

3217

1223

26

787

1327

20

166

106

三菱上山田

2587

538

22

866

1208

44

91

35

三菱飯塚

3127

1641

23

338

1339

11

225

242

三菱勝田

1923

1053

71

219

762

12

182

20

麻生

7996

4919

107

654

2903

56

643

785

貝島大之浦

7930

3963

125

729

3444

58

389

217

貝島大辻

2325

1635

32

278

525

17

162

16

明治明治

2181

1192

73

464

583

10

136

41

明治赤池

3061

1309

42

446

1386

13

135

79

明治豊国

1466

839

18

317

376

11

95

21

明治平山

2487

1365

67

441

796

13

195

4

明治高田

1486

906

32

129

429

10

120

15

古河目尾

2476

1551

25

414

799

10

323

154

古河下山田

2292

1383

151

424

551

18

235

10

古河大峰

4124

1798

119

537

1906

47

283

99

住友忠隈

3081

1631

4

301

1266

27

148

93

日鉄二瀬

2555

1076

25

124

1520

5

195

33

日鉱遠賀

7681

4604

236

739

2749

46

793

139

日鉱山田

1450

913

26

249

412

9

159

17

日炭上山

1039

444

3

207

510

21

146

22

日炭新山野

1353

1018

4

63

420

10

162

57

大正中鶴

3129

1256

157

150

1657

11

102

10

東邦亀山本坑

612

476

5

13

166

0

39

6

東邦亀山三坑

386

206

0

65

166

1

56

13

東邦鞍手

1247

763

2

121

406

9

54

90

東邦天道

1303

993

4

58

316

6

73

70

東邦筑紫

941

380

7

220

393

11

70

19

嘉穂

2754

1293

25

245

1245

23

77

19

九採新手

2693

1876

5

132

831

8

159

168

早良

1689

1091

10

204

458

9

88

98

野上豊州

830

225

1

41

597

4

38

40

川崎

99

10

0

4

87

0

2

38

久恒

622

310

21

85

242

10

46

10

久恒山浦

29

12

2

5

久恒本坑へ11

1

0

0

真岡

263

160

2

19

89

0

7

20

高陽

42

22

0

0

21

0

1

113

日満新目尾

1268

854

8

145

351

7

97

123

九曹西川

458

358

3

16

110

0

29

60

西戸崎

661

230

4

15

479

7

74

39

宝珠山

934

422

11

31

505

9

45

159

大平笹原

290

30

3

7

255

0

5

49

田籠昭嘉

275

40

5

14

226

2

12

30

海老津

599

486

3

25

122

1

38

211

小倉

108

36

0

2

79

0

9

79

金丸大隈

335

259

15

25

55

4

23

21

金丸高谷

186

118

3

14

大隈坑へ53

2

4

0

旭大勢門

49

37

0

5

10

0

23

16

末吉

50

37

2

18

0

0

7

0

樋口

48

1

0

0

47

0

0

0

海軍燃料廠

1656

572

4

254

833

2

9

20

電化大牟田工場

572

234

16

76

293

1

48

5

浅野セメント香春

120

58

2

18

62

0

20

141

産業セメント

48

32

1

1

15

1

2

494

浅野セメント呼野

142

61

1

6

81

0

7

44

宇部興産小倉

85

54

0

22

16

0

7

140

日鉄八幡製鉄所

1471

760

4

8

772

3

76

0

黒崎窯業

294

142

11

15

137

2

13

108

日本鋼業

198

40

3

5

159

1

10

21

杤木造船若松

50

10

0

2

46

0

2

11

東海鋼業若松

50

5

0

0

47

0

0

9

昭和鉄工所

60

29

0

1

30

0

27

5

小倉製鋼

247

254

0

4

16

0

0

465

日立製作所

50

2

0

0

48

0

0

48

日華油脂

40

0

0

0

40

0

0

55

多々良製作所

50

0

0

0

50

0

0

10

鉄道小森江工場

261

103

2

33

135

0

12

0

門司国道トンネル

23

9

0

3

9

2

0

72

八幡港運

3197

2191

21

732

381

11

139

2865

広島藤田組

149

59

0

58

苅田組へ46

0

14

0

磐城苅田組

46

0

0

1

24

1

7

0

吉原金山

70

71

1

1

9

0

12

0

興原金山

70

67

3

3

0

0

3

0

星野金山

30

18

4

13

横山銅山へ5

1

1

0

横山銅山

5

1

0

0

4

0

0

12

動員先

移入数

逃走者

送還数

帰国数

現在員数

死亡数

発見再就労

既住朝鮮人

石炭山合計

105784

54244

1755

12226

43880

688

7009

4127

工場合計

3477

1681

38

158

1812

8

220

1556

土建合計

3630

2389

28

827

549

14

172

2937

金属山合計

175

157

8

17

13

1

26

12

総計

113061

58471

1824

13228

46254

711

7427

8632

福岡県「県政重要事項」(19447月)、警察部特別高等課「移入半島人労務者ニ関スル調査表」の「労務動員計画ニ依ル移入労務者事業場別調査表」から作成。19441月現在の数字

 

2 福岡県の炭鉱への強制連行  石炭統制会史料からみた集団移入数

石炭統制会勤労部史料

 つぎに福岡県の炭鉱への強制連行の状況について、石炭統制会と中央協和会の史料を使ってみていきます。福岡県の60カ所の炭鉱に1939年から1942年中ごろまでに5万人近くが連行され、1944年初めまでには10万5000人ほどが連行されています。1944年1月から8月にはさらに2万5000人ほどが動員され、同様の連行が1945年5月頃まで繰り返されました。連行者数は15万人以上になります。

 

2−1 福岡県炭鉱への朝鮮人強制連行

炭鉱名

193942.6連行数

1943
連行数

193944.1連行数

1944.18
連行数

19449
現在数

1944.12
現在数

(既住者数)

1

三井三池

618

2738

2376

2106

4274

3558

(101)

2

三井田川

239

1716

2652

1936

2963

2372

 

3

三井山野

1737

1827

5070

821

2449

2439

(25)

4

三菱新入

1539

759

2938

991

1609

1891

(172)

5

三菱鯰田

1389

942

3313

505

1808

1613

(67)

6

三菱方城

1970

915

3217

637

1602

1637

(65)

7

三菱上山田

1585

645

2587

665

1729

1507

(37)

8

三菱飯塚

1056

1096

3127

923

1178

1418

(246)

9

三菱勝田

1021

609

1923

458

985

735

(23)

10

麻生芳雄・上三緒・山内

1777

2007

7996

671

1046

1120

(327)

11

麻生綱分・赤坂

1345

413

715

842

(195)

12

麻生吉隈

1298

342

742

859

(40)

13

麻生豆田

169

4

15

51

(27)

14

貝島大之浦

4378

2221

7930

1541

3029

3248

(222)

15

貝島大辻

1527

431

2325

260

324

375

(23)

16

明治明治・赤池

2447

1571

5242

1161

2192

1857

(112)

17

明治豊国

854

234

1466

130

530

440

(37)

18

明治平山

1510

470

2487

463

1037

882

(5)

19

明治高田

798

478

1486

255

357

421

(14)

20

古河目尾

1011

569

2476

328

639

569

(150)

21

古河下山田

1121

704

2292

343

628

569

(12)

22

古河大峰・峰地

2072

1581

4124

805

1551

1606

(7)

23

住友忠隈

1574

919

3081

571

1192

1215

(102)

24

日鉄二瀬

149

1420

2555

647

1335

1596

(21)

25

日鉄稲築

 

 

 

265

286

393

(3)

26

日鉱遠賀(高松)

3921

2518

7681

1411

3123

2768

(141)

27

日鉱山田

657

437

1450

302

550

515

(29)

28

日炭上山

573

381

1039

189

700

656

(12)

29

日炭新山野

780

342

1353

289

486

668

(97)

30

大正中鶴

1235

957

3129

742

1553

1640

(10)

31

東邦亀山本坑・二坑

273

221

612

51

158

133

(3)

32

東邦亀山三坑

 

203

386

244

124

149

(13)

33

東邦鞍手

688

416

1247

403

401

 

 

34

東邦天道

893

336

1303

162

190

264

(32)

35

東邦筑紫

312

356

941

85

463

432

(10)

36

嘉穂

888

1153

2754

1010

1280

1266

(30)

37

九採新手

1244

892

2693

307

475

678

(69)

38

早良

888

623

1689

317

643

570

(120)

39

野上豊州

56

530

830

368

704

724

(40)

40

東豊

 

 

 

 

 

71

(48)

41

川崎

 

100

99

76

151

170

(43)

42

久恒(猪ノ鼻・漆生・山浦)

203

251

651

134

239

201

(7)

43

岡崎 真岡

130

134

263

114

115

163

(18)

44

高陽

 

43

42

114

42

63

(174)

45

日満 新目尾

594

381

1268

193

367

278

(51)

46

九曹 西川

180

203

458

49

134

114

(30)

47

西戸崎

273

281

661

52

408

380

(28)

48

宝珠山

243

363

934

363

612

612

(108)

49

太平笹原

 

290

290

82

233

305

(45)

50

田龍 昭嘉

 

176

275

43

434

480

(15)

51

海老津

350

100

599

75

140

117

(233)

52

中津原

 

 

 

75

 

 

(138)

53

小倉

 

115

108

157

46

177

(129)

54

加茂 目尾

 

 

 

122

46

32

(52)

55

金丸大隈・高谷

460

46

521

45

34

109

(56)

56

旭 大勢門

47

 

49

 

 

 

 

57

末吉

50

 

50

 

 

 

(4)

58

樋口 木城

 

49

48

 

 

192

(7)

59

振興

 

 

 

 

 

40

(110)

60

志免(第4海軍燃料廠)

 

 

1656

 

 

 

 

  合計

48122

35749

105742

24815

48066

47180

(3935)

出典

1

2

3

4

5

6

出典 

1中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」1942年、 2石炭統制会労務部京城事務所「半島人労務者供出状況調」1943112月、 3福岡県特高課「労務動員計画ニ依ル移入労務者事業場別調査表」19441月現在、 4石炭統制会勤労部「労務状況速報」1944.17、「雇入解雇及就業率調」1944.8、 5石炭統制会勤労部「主要炭砿給源種別現在員表」1944.9、 6石炭統制会勤労部「炭礦給源種別現在員表」1944.12 12月の既住朝鮮人の雇用数を( )内に記入したが、外数。 詳細は竹内『調査・朝鮮人強制労働@炭鉱編』

 

石炭統制会福岡支部「支部管内炭礦現況調査表」

つぎに、石炭統制会福岡支部「支部管内炭礦現況調査表」を使って動員状況をみてみます。この表には、福岡・佐賀・長崎・山口の炭鉱での鉱夫の月末現在数、月ごとの移動数などが掲載されています。そこに「集団移入」の欄があり、集団移入の名で動員された朝鮮人の月ごとの雇入数・解雇数・現在員数が判明します。この史料は九州歴史資料館の旧筑豊工業高校史料のなかにあります。

「支部管内炭礦現況調査表」は2枚で作成され、1942年4月から45年1月にかけての20か月分が残され、14か月分が欠落しています。不明の月があるものの、この調査表から、1942年4月から45年1月の間、九州・山口の59か所の炭鉱と3つの統制組合下の炭鉱に9万3000以上の朝鮮人が集団移入されたこと、その月ごと、炭鉱ごとの集団移入の状況を知ることができるわけです。

この「支部管内炭礦現況調査表」に加え、石炭統制会の他の文書を参照すれば、1942年4月から1945年1月までの九州の主要炭鉱への朝鮮人の集団移入の状況がほぼ判明します。1939年から1942年6月までの連行者数は中央協和会の史料で判明します。

 

2−2@ 炭鉱への朝鮮人集団移入の状況 1942.445.1 

炭鉱名

1942.4

42.5

42.8

42.9

42.11

42.12

43.1

43.2

43.3

43.4

宇部山陽無煙

63

200

136

0

0

0

1

0

0

宇部沖ノ山

0

99

100

100

209

57

2

102

0

宇部東見初

0

0

0

86

11

272

13

188

0

宇部本山

山口組合

193

0

100

42

36

103

99

19

81

三井三池

0

251

0

315

461

289

2

0

1146

三井田川

0

99

265

0

97

257

0

195

0

三井山野

110

117

22

66

291

139

152

212

83

三菱新入

249

101

11

261

76

167

0

99

48

三菱鯰田

118

150

0

349

380

32

4

151

50

三菱方城

75

92

7

137

260

92

6

190

1

三菱上山田

220

28

0

50

0

199

0

97

50

三菱飯塚

0

150

0

197

0

338

0

150

0

三菱勝田

199

0

0

0

0

0

92

100

0

日鉱高松

496

167

288

0

256

157

444

443

234

日鉱山田

0

63

0

1

100

97

0

0

0

貝島大之浦

0

225

0

7

105

262

91

48

80

貝島大辻

4

73

16

23

14

179

4

0

100

日鉄二瀬

0

0

9

0

166

100

0

0

0

日鉄稲築

0

0

0

0

0

185

0

0

98

明治赤池

0

0

88

0

146

0

350

249

0

明治豊国

0

49

6

0

0

0

84

66

0

明治平山

0

214

99

0

118

46

82

44

100

明治高田

0

97

100

0

0

0

0

22

0

古河目尾

73

84

0

128

0

75

0

88

0

古河下山田

0

0

0

0

68

0

109

85

0

古河大峰

0

58

25

0

49

0

124

28

197

古河峰地

0

50

0

0

82

0

0

0

108

麻生芳雄

0

148

0

0

135

138

100

0

0

麻生綱分

0

74

0

0

100

128

95

0

100

麻生吉隈

50

0

0

0

199

97

0

0

45

麻生豆田

0

0

0

0

0

0

0

0

0

住友忠隈

206

6

0

96

0

98

197

0

66

大正中鶴

197

0

99

100

100

86

108

118

99

嘉穂

100

0

0

0

55

125

99

186

0

三菱鞍手

92

0

0

0

0

37

64

33

67

東邦亀山1

50

0

0

0

0

0

0

0

0

東邦亀山3

0

0

0

0

0

3

1

3

66

東邦粕屋

東邦天道

0

0

5

106

0

0

93

1

1

東邦筑紫

0

0

0

0

84

0

0

57

0

北九州組合

141

90

233

89

471

580

286

633

87

集団移入総計

3606

3889

2198

3098

5661

5872

3838

3887

4680

3838

 

2−2 A 炭鉱への朝鮮人集団移入の状況 1942.445.1

炭鉱名

43.5

43.6

43.8

43.12

44.5

44.7

44.8

44.9

44.10

44.12

45.1

宇部山陽無煙

48

34

49

22

0

0

76

93

0

95

41

宇部沖ノ山

266

0

85

94

0

60

115

253

0

122

99

宇部東見初

124

57

197

0

104

9

121

3

352

43

132

宇部本山

0

6

9

62

81

9

2

山口組合

151

36

94

131

77

0

23

96

131

73

187

三井三池

206

0

336

68

0

447

607

158

83

198

304

三井田川

268

0

176

276

167

77

143

778

6

145

145

三井山野

264

89

196

186

77

28

73

527

3

323

238

三菱新入

100

89

11

161

93

60

103

398

1

112

51

三菱鯰田

273

0

105

179

98

9

41

456

5

78

62

三菱方城

185

93

92

142

89

5

119

475

12

176

53

三菱上山田

188

0

0

40

0

8

95

322

3

70

38

三菱飯塚

249

82

204

0

0

0

126

385

5

160

41

三菱勝田

76

0

0

0

100

4

126

228

0

105

77

日鉱高松

220

125

234

114

139

35

326

539

11

324

105

日鉱山田

75

0

107

0

72

14

64

101

1

47

0

貝島大之浦

381

345

227

218

128

145

161

239

620

273

84

貝島大辻

92

0

108

0

0

16

0

79

169

3

86

日鉄二瀬

279

91

174

5

74

67

80

68

225

134

0

日鉄稲築

0

96

0

0

0

0

0

0

0

88

0

明治赤池

372

0

99

6

151

18

182

466

4

13

220

明治豊国

0

65

0

31

37

2

36

216

1

51

0

明治平山

0

119

53

62

67

0

63

320

6

68

8

明治高田

89

48

63

0

4

0

29

0

133

0

66

古河目尾

110

77

0

93

0

14

79

218

184

15

121

古河下山田

0

121

99

66

20

70

1

101

2

1

46

古河大峰

0

0

0

85

113

86

38

202

247

126

4

古河峰地

0

170

0

75

(

峰)ー

麻生芳雄

98

0

0

38

82

65

37

138

137

79

2

麻生綱分

97

100

140

0

0

96

4

4

153

80

1

麻生吉隈

96

131

0

47

63

0

5

65

171

48

0

麻生豆田

0

0

0

0

0

0

0

0

34

0

0

住友忠隈

177

29

0

95

49

68

0

67

96

151

3

大正中鶴

87

0

201

96

0

84

39

44

299

22

131

嘉穂

64

136

179

146

61

20

80

220

212

51

47

三菱鞍手

19

0

53

60

0

35

2

138

1

0

4

東邦亀山1

0

0

0

29

0

0

16

粕屋へ

東邦亀山3

0

0

41

41

0

48

18

粕屋へ

東邦粕屋

45

67

1

0

東邦天道

97

0

96

2

0

0

23

6

115

0

38

東邦筑紫

93

0

0

21

0

0

0

97

0

42

0

北九州組合

856

495

147

605

192

303

306

1269

731

403

554

集団移入総計

6821

4403

4310

4346

2590

2638

4487

11706

6678

4562

5041

石炭統制会福岡支部「支部管内炭礦現況調査表」から作成、佐賀・長崎分は省略、総計では佐賀・長崎分を含む

 

日鉄二瀬炭鉱への強制連行

 ここでは具体的な例として、日鉄二瀬炭鉱への連行状況をみてみます。二瀬炭鉱には1944年1月までに2555人が動員されています。諸資料から1944年以降の動員数の判明分は約1300人です。不明の月の動員数は200人を超えるものとみられますから、連行者数を4000人ほどと推定できます。

二瀬炭鉱は八幡製鉄所への石炭供給を目的に八幡製鉄二瀬出張所として開発されました。1942年3月までは動員朝鮮人数はゼロであったのですが、その後、連行が強化され、4000人ほどが連行されたのです。

 石炭統制会福岡支部「支部管内炭礦現況調査表」を利用し、中央協和会や石炭統制会のほかの資料と照合させることで、二瀬炭鉱以外の炭鉱についても、このような月ごとの連行表を作成することができます。表からは100人、200人と集団で連行された状況を知ることができます。

二瀬炭鉱については中央坑での500人ほどの朝鮮人の名簿が残っています。この名簿の記載から、全羅道、忠清道、黄海道、京畿道から集団動員されたことがわかります。石炭統制会京城事務所の史料「半島人労務者供出状況調」からは、1943年に1420人が主として全羅北道から送出され、忠北、全南、江原などからも動員されたことを知ることができます。

さまざまな史料を照合することで朝鮮人の集団連行の実態に迫ることができるのです。

 

2−3 日鉄二瀬炭鉱(含稲築坑)・朝鮮人動員数

年月

動員数Kは動員数不明

典拠

        動員数資料

 

移入数1

供出数2

雇用数3

中央坑名簿4

出身道郡24

備考

 

1942.3

 

 

 

 

 

 

 

3月まで0

 

1942.4

0

1

0

 

 

 

 

 

 

1942.5

0

1

0

 

 

 

 

 

 

1942.6

 

 

 

50

全北茂朱

6月まで149

 

1942.7

 

 

 

42

全北沃溝

 

 

1942.8

9

1

9

 

 

 

 

 

 

1942.9

0

1

0

 

 

 

 

 

 

1942.10

1

 

 

78

忠南天安

 

 

1942.11

166

1

166

 

 

 

 

 

 

1942.12

285

1

285

 

 

 

 

 

 

1943.1

0

2

0

0

 

 

 

 

 

1943.2

324

2

324

 

74

忠北清州全南務安

 

 

1943.3

0

2

0

0

 

 

 

 

 

1943.4

196

2

98

196

 

 

全北

 

 

1943.5

186

2

279

186

279

 

全北

 

 

1943.6

195

2

187

195

187

89

全北完州

 

 

1943.7

0

2

0

0

 

 

 

 

1943.8

278

2

174

278

174

 

全北・江原

 

 

1943.9

168

2

168

247

81

全北任実

 

 

1943.10

0

2

0

0

 

 

 

 

1943.11

73

2

73

71

 

全北

 

 

1943.12

0

2

5

0

5

 

 

 

 

1943

 

 

 

1420

 

 

 

 

 

1944.1

84

3

 

84

 

 

1月まで2555

 

1944.2

267

3

 

267

71

黄海碧城信川

 

 

1944.3

140

3

 

140

 

 

 

 

1944.4

5

3

 

5

 

 

 

 

1944.5

97

3

74

 

97

 

 

 

 

1944.6

169

3

 

169

60

京畿楊州開城

 

 

1944.7

0

3

67

 

0

 

 

 

 

1944.8

80

1

80

 

153

 

 

 

 

1944.9

68

1

68

 

 

 

 

 

1944.10

225

1

225

 

 

 

 

 

 

1944.11

1

 

 

 

 

 

 

1944.12

222

1

222

 

 

 

 

 

 

1945.1

0

1

0

 

 

 

 

 

 

1945.2

 

 

 

 

 

 

 

 

1945.3

 

 

 

 

 

 

 

 

1945.4

 

 

 

 

 

 

 

 

1945.5

 

 

 

 

 

 

 

 

合計

 

 

 

 

 

545

 

 

典拠 1 「支部管内炭礦現況調査表」 2 「半島人労務者供出状況調」 3 「労務状況速報」「県別炭礦労務者移動調」ほか 4 二瀬中央坑名簿。 詳細は、竹内「明治日本の産業革命遺産と強制労働」報告『第11回強制動員真相究明全国研究集会・沖縄』資料集2018年)

3 北九州への朝鮮人強制連行

北九州への朝鮮人強制動員

ではつぎに、北九州への動員状況をみてみましょう。北九州は軍事と軍需生産の拠点であり、軍需工場と港湾など40か所以上に朝鮮人が労務動員されました。このうち八幡製鉄所と八幡港運にそれぞれ4000人が連行されました。このような動員と工場地帯への移住により、1944年には八幡・若松・戸畑・小倉・門司などの在留朝鮮人の数は5万人を超えることになったのです。また、軍の高射部隊や港湾部隊、船舶部隊に軍務で動員された朝鮮人もいました。

北九州地域で朝鮮人が連行された事業所は判明分で40か所以上あります。

工場では、宇部興産小倉工場、小倉製鋼本社(浅野重工小倉)、小倉陸軍造兵廠、東京製鋼、不二越鋼材小倉工場、東洋セメント小倉工場、旭硝子、浅野セメント門司工場、神戸製鋼門司工場、九州伸鉄工業、日立製作所戸畑工場、日本水産戸畑支社、日本製鉄八幡製鉄所、黒崎窯業、三菱化成黒崎工場、三菱化成牧山工場、九州造船本社工場、今村製作所若松工場、大日本乾溜工業、東海鋼業若松工場、東海電極製造若松工場、杤木造船若松工場、日華油脂・二ツ菱組、日華油脂若松工場、日立製作所若松工場、三菱重工業若松造船、若松車両若松工場などです。

土建・運輸では、鎮西貨物自動車運送、鉄道炭荷役作業戸畑出張所、日通戸畑支店、国鉄門司港、関門港運、門司・川口組、八幡港運・八幡製鉄運搬請負業共済組合、入江組、鉄道省工事小森江、門司国道トンネル、日通若松支店、若松港運、大林組二島工事、久保田組、帆柱山・牧山高射砲台工事、陸軍曽根飛行場建設・株木組などがあります。

炭鉱では、小倉炭鉱に動員されています。

軍人軍属では、高射第4師団機関砲第12大隊・独立照空第21大隊、高射砲第131連隊(八幡)、特設水上勤務隊・門司港などへの動員を確認できます。陸軍留守名簿の「内地・第一六方面軍(西部)隷下部隊留守名簿」に動員された朝鮮人の名前が記されていることからわかりました。また、徴用船員の死者がわかり、小倉沖で金章丸、若松沖で湊川丸・白金丸・漁生丸、部崎灯台南東で神明丸に乗船していた船員が亡くなっています。

ここ、若松での労務動員も多かったのです。若松については、厚生省勤労局調査の福岡県分に若松勤労局による統計と名簿が残っています。この統計には労務動員によるものと自由募集者が混在していますが、労務動員がなされた事業所と名簿数をみておけば、日立製作所若松工場46人、大日本乾留工業若松工場39人、東海鋼業若松工場100人、日華油脂21人、日華油脂二ツ菱組40人、東海電極製造若松工場35人、今村製作所若松工場12人などがあります。これらは労務動員による名簿が残っている現場です。若松車両若松工場や日通若松支店の自由募集者の名簿もありますが、この二つにも労務動員があったとみられます。

(以上の動員場所は、各種資料から作成しました。典拠史料などは、竹内『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』1、未払金企業名・名簿分析については『同資料集2』をみてください)  

            

八幡製鉄所への朝鮮人強制動員

 ではこのなかでもっとも多くの朝鮮人が動員された八幡製鉄所について動員の状況をみてみましょう。

戦時の動員についてみる前に、八幡製鉄所でのそれ以前の朝鮮人労働の歴史についてみれば、1918年4月に、八幡製鉄所の鉱石運搬場で朝鮮人ストライキが起きたように、1919年代後半には朝鮮人が働いました。この記事は、坂本悠一「福岡県における朝鮮人移民社会の成立」(『青丘学術論集13』1998年)の年表にあります。

この年表をみると、1917年に北九州の工場で朝鮮人児童労働があったこと、1920年に八幡製鉄所の骸炭工場で朝鮮人150人がストライキをしたこと、1928年に八幡製鉄所で朝鮮人639人が労働していたこと、1931年に八幡製鉄所の洞岡硫酸工場に入江組所属の朝鮮人が入っていたこと、1937年に若松港の朝鮮人仲士がストライキをしたことなど、朝鮮人労働の歴史が記されています。製鉄所や港湾で、多くの朝鮮人が労働し、居住した歴史があったのです。そのような歴史を経て、戦時の労務動員がおこなわれたのです。

戦時期、八幡製鉄所は日本製鉄の主要工場となり、二瀬炭鉱は八幡製鉄所の出張所から分離され、日鉄鉱業の傘下となって八幡製鉄所に石炭を供給しました。そのなかで動員が強化され、八幡製鉄所、八幡港運、二瀬炭鉱にそれぞれ約4000人、合計すると八幡製鉄関連で約1万2000人の朝鮮人が動員されたわけです。

 日鉄八幡製鉄所への朝鮮人強制連行の状況については、戦後の厚生省勤労局調査の福岡県分の史料のなかに、八幡製鉄所の報告書があります。そこには1942年に921人、43年に550人、44年に1968人、45年に381人の計3820人を動員したと記されています。この動員は集団移入による数とみられ、在日で動員された朝鮮人は含まれていないようです。八幡港運については書類焼却により不明とされています。

1942年・43年の連行者のその後の状況については日鉄八幡製鉄所の「移入朝鮮人労務者ニ関スル調査」から判明します。判読が困難な箇所もあるのですが、慶尚北道や全羅北道から集団動員があったことがわかります。1944年3月現在での数値ですが、動員者の半数近くが逃亡しています。

八幡製鉄所に動員された朝鮮人の名簿は、未払い金があるものについては、日本製鉄の供託関係資料に残されています。不十分な名簿であり、住所が記されていないものが多いのですが、全羅北道などから連行された朝鮮人については住所が記されているものがあります。

 八幡製鉄所に連行された朝鮮人で、いまも韓国の法廷で新日鉄を相手に訴訟が続いていますが、その原告の名もこの名簿にあります。

 

3−1 日鉄八幡製鉄所・朝鮮人強制連行

連行数

1942

921

1943

550

1944

1968

1945

381

3820

厚生省勤労局調査・福岡県分の統計から作成、日鉄八幡港運は書類焼却を理由に記載なし。八幡製鉄運搬請負業共済組合には1939年から連行がなされ、同組合が日鉄八幡港運となった。

 

3−2 日鉄八幡製鉄所・朝鮮人連行194243

年月

連行数

出身郡

逃走

事故帰国

死亡

其他

減員合計

現在員

満期44.4

満期44.12

逃走率

1942.4

394

慶北

223

25

1

 

249

145

145

 

56%

1942.12

259

慶北

180

7

 

 

187

72

 

72

69%

1942.12

268

全北

112

1

 

 

113

155

 

155

41%

1943.3

228

慶北

150

 

1

 

151

76

 

 

66%

1943.11

322

全北

2

 

1

 

3

319

 

 

0.60%

1471

 

668

33

3

 

70

767

145

227

45%

日鉄八幡製鉄所「移入朝鮮人労務者ニ関スル調査」第3表から作成(1944.3.1現在、『協和会関係資料集W』)。前後関係から数値を訂正した(太字)。433月の減員数が1人足りない。逃走数150151になると合致する。

 

4 「明治日本の産業革命遺産」と八幡製鉄所

ユネスコの理念と八幡製鉄所の展示

ではこの八幡製鉄所と明治産業革命遺産の問題についてみてみます。

1945年のユネスコ憲章前文の前文では、戦争は人の心の中で生まれるものであり、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。平和は、政府間の取り決めではなく、人類の知的・精神的連帯の上に築かれなければならないと記しています。このような理念によって、1972年に世界遺産条約が採択され、顕著な普遍的価値を有するとみられる遺産が、世界遺産として認定されます。

八幡製鉄所の旧本事務所眺望スペースの案内板には、日本語と英語が記されていますが、日本語では、19世紀の半ば、西洋に門戸を閉ざしていた東洋の一国は、海防の危機感より西洋科学に挑戦をし、工業を興すことを国家の大きな目標として、西洋の産業革命の波を受容し、工業立国の土台を築いた。明治日本の産業革命遺産は、1850年代から1910年の日本の重工業(製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業)における大きな変化、国家の質を変えた半世紀の産業化を証言していると記され、英語では、1850年代から1910年まで、日本の急速な産業化を反映する世界遺産遺跡の資産の一つで、主に製鉄、製鋼、造船と石炭産業に基づいている。このような成功的な産業化は、わずか50年ほどの短い間に、植民地とされることなく、日本自身で成し遂げたと記されています。

このような産業化の成功の記述に平和と人権につながる普遍的な価値があるのでしょうか。

日本政府は2015年の世界遺産の登録にあたり、「forced to work」を「働かされた」と訳しました。政府の解釈では、それは「強制労働の意ではない」、「戦時の朝鮮半島出身者の徴用は、国際法上の強制労働にあたらない」というのです。この産業革命遺産では資本・労働・国際関係の側面のうち、資本・技術のみが賛美されています。端島での強制労働については、登録を推進した産業遺産国民会議が「軍艦島の真実」というサイトを立ち上げ、強制労働を否定する宣伝を2017年からはじめました。新たな歴史の歪曲がすすんでいます。

資源の収奪と強制労働

八幡製鉄所の歴史で、日清戦争での賠償金による建設と中国・朝鮮からの鉄の収奪については欠くことができませんが、それについては記されないのです。

具体的にみておけば、1919年度の鉄鉱石の使用予定高は中国産約55万トン、内地・朝鮮産が約31万トンです。1919年時の八幡製鉄所での石炭使用量は年169万トンですが、石炭は、中国の開平(河北省)、本渓湖(遼寧省)などからも輸入されています(『製鐵所事業概要』)。日中戦争により、日本軍は1938年に中国の大冶鉱山を占領し、日本製鉄の所有としました。大冶鉱山から大量の鉄鉱石を略奪しました。

そのなかで、戦時下、強制労働がなされたのです。日本製鉄八幡製鉄所には、製鉄所に朝鮮人約4000人、連合軍捕虜約1400人、八幡港運に朝鮮人約4000人、中国人約200人、八幡製鉄所の出張所であった二瀬炭鉱に朝鮮人約4000人、中国人約800人、連合軍捕虜約600人が連行されました。日本製鉄釜石関連の鉱山と製鉄所にも朝鮮人、中国人、連合軍捕虜が動員されました。

1910年までと産業革命遺産の歴史を区切れば、その後の歴史は見えなくなってしまいます。

国際的な動き

日本政府は強制労働を認めようとはしないのですが、国際的には、国際労働機関(ILO)は1999年3月に、戦時の朝鮮人・中国人などの強制労働を、強制労働に関する条約(ILO第29号条約)に違反すると判断しています。ILOの専門家委員会は、日本政府に対して、遅きに失することがないよう被害者の期待に応える措置をとるようにと勧告しています。

2012年、韓国の大法院は、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配に直結した不法行為による損害賠償権が1965年の日韓請求権協定の適用対象に含まれていたとみることは難しいとし、個人の請求権は日韓請求権協定によって消滅していないと判断しました。

韓国司法は強制動員という不法行為への被害者個人の損害賠償請求権を認めたのです。以後、韓国での強制労働事件の判決では、企業に対する個人の損害賠償請求権を認めるようになり、原告が勝訴しています。このような動きに応え、日本政府と三菱や新日鉄住金などの企業は、強制労働の事実を認め、その史実を語り伝えるべきなのです。2018年末までには韓国大法院の判決が出るでしょう。

強制労働の事実を認め、強制労働の現場を平和・友好の場とすることが大切です。戦争の歴史を批判的にとらえ、加害の歴史を明らかにすることは「反日」でも、「自虐」でもないのです。それは人間の尊厳回復のための作業であり、人間が大切にされる社会をつくるための、正義と平和の実現にむけての前向きな活動です。そのような活動が普遍的な価値形成、人類の知的・精神的連帯の形成につながると思います。

 

おわりに

最後に、小田山霊園の朝鮮人遭難者墓地の歴史とその意義について話します。

朝鮮人遭難者の墓地は植民地支配と強制労働の歴史の結末のひとつです。植民地化により北九州には朝鮮人集住の地ができました。8・15解放によって帰国がはじまりましたが、その途上で、1945年9月17日に遭難し、100人ほどが亡くなりました。それは無念の歴史です。帰国を焦り、気象も判断できず、小さな船に乗って出航したのでしょう。遭難遺体は収集され、小田山墓地の一角に埋葬されました。その歴史を知った市民が、民族と南北を超えて追悼行事をおこなってきました。市民と北九州市との交渉により、市の追悼文は、歴史への反省については記されなかったとはいえ、植民地下の移住、強制的連行、過酷な労働という歴史を認知するものになっています。

このような追悼の活動は、人権と平和という普遍的な価値形成につながる行動であると思います。そのような歴史の継承にこそ、未来があると思います。この間、若松の地で追悼活動を担い、アジアの平和にむけて活動されてきた皆さんに敬意を表し、わたしの話を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

(2018年9月16日、北九州市若松バプテスト教会、小田山墓地朝鮮人遭難者追悼集会での講演に加筆・竹内)