沖縄の旅2018年12月
琉球セメントさん、沖縄の民意に背きませんか?
12月16日は「ペンションま〜みなぁ〜」創立20周年記念イベントに出席した。古謝美佐子さんのコンサートを聞かせてもらった。沖縄の人々が南米に移住した当時の話からから戦中、戦後の話を絡めながら「南洋小唄」「南洋数え歌」「懐かしき故郷」「PW無情」「屋嘉節」「童神」「日々これいい日」7曲を聴かせてくれた。次回の満月まつりでは是非、浜松で歌って欲しいと思う。
17日は10時頃、辺野古に着いた。キャンプシュワブのゲート前には数人がいるだけであった。クッションの世話人に聞いてみると、今は皆、安和へ行っているようだった。とりあえずテント村に行き、浜の写真を撮りクッションへ帰った。
午後になり大阪から来ている3人が安和へ行くというので便乗させてもらった。琉球セメントの桟橋に2時頃着いた。トラックはどんどん入っていくが、抵抗する人数は僅かであり、指揮を執る人もいなかった。この日は午前、午後合わせて583台分の土砂が3隻の台船に積み込まれた。
18日は朝7時過ぎにゲート前に行った。出勤してくる米国軍人や勤務している日本人に「Marine Out」「新基地はいらない」等のプラカードを持ってアピールをした。8時半頃から集会がもたれ、沖縄の状況や大阪、大分からの報告があった。30人程の参加であった。トラックは入って来る様子もなく、10時になってゲート前の行動は取りやめ、安和に行くことになった。参加者はそれぞれ分乗して向かった。
安和では50人程の人数になった。しかしトラックは全然入ってくる様子がない。実は前夜、桟橋に止まっていたショベルカー1台の鍵穴に、接着剤のような液体が塗られていたり、給油口が壊されたりしていた。県警が桟橋内で現場検証をしていた。2,3日前にも同様のことが辺野古や本部の採石場でもあったようだ。
昼食を採り、1時から集会を開いていると、1時半頃、突然トラックが入り出した。入り口を塞いで抵抗したが、機動隊に排除された。安和では、ゲート前とは異なり、トラックは休みなく入ってくる。県警も右折するトラックを最優先で入れ、一般乗用車や観光バスなどは後回しだ。3時半から集会をして4時に解散した。明日は10時30分、浦添にある琉球セメント本社前に集合だ。
10時15分頃、琉球セメント本社前に着くと、すでに30 人程が集まっていた。10時30分から、山城さんの指揮で集会が始まった。11時、名護島ぐるみ会議代表の2名が「会社の中で要請書を渡したい」と迫るが、会社側は「対応できません」の一点張りで話にならない。このような押し問答が1時間続いた。結局、今まで電話の対応も一切しなかったが、これからは電話での対応はするという約束を取り付け、誠実に住民と向き合うようにお願いして、この日の要請行動は終わった。マスコミも含め200人を超える人達が集まっていた。
本島では、琉球セメントは唯一のセメント会社である。したがって、住民の家や護岸工事、道路などのセメントはすべて琉球セメントに頼ってきた。だから本部の山の姿が変わってしまうほど山が削られても、県民はそれを容認してきた。しかし、ここへ来て、多くの県民が反対している辺野古埋め立てに桟橋を使用させることは、県民に対する裏切り行為である。そのことに県民は怒っている。琉球セメントの親会社は宇部興産(山口県)である。
今回は3泊4日の滞在。クッションは大変居心地がよく、宿泊している人は長期滞在が多く、皆真面目な人ばかりである。彼らがゲート前や海上や安和の闘いを支えている部分は多い。これからは、ゲート前、安和、琉球セメント、海上等、闘う場所が増えた。また、高江でも工事が再開されている。県警の機動隊の人数も足りなくなっているという話も聞いた。沖縄県民同士がいがみ合わなければいけない事業は、早く辞めるべきだ。
軟弱地盤、活断層があり、お金と時間を湯水のように使わなければ完成しない。しかも、高さ制限の問題もある。2000m級の滑走路の場合、半径2000m以内に高さ53m以上の建物は建てられない。米軍にも適用される。辺野古弾薬庫、国立高等専門学校、久辺小学校、久辺中学校、久辺郵便局等が当てはまる。
違法工事は今すぐやめろ!