植民地支配と強制動員                     

 なぜ加害者が被害者のようにふるまうのか       

 

はじめに

 

 201810月の韓国大法院での徴用工判決以後、日本政府は判決を「国際法違反」とし、2019年6月末に韓国への半導体部品の輸出規制をおこない、8月には韓国をホワイト国から排除するなどの経済報復を強めています。なぜこのような動きが起きるのか、徴用工問題はどうすれば解決できるのか、考えてみたいと思います。

 

1 2018年韓国大法院判決

 

 最初に、韓国での徴用工大法院判決の内容を見てみます。この判決は、日本製鉄と三菱重工業の工場に強制動員された人々を救済するものでした。判決は、強制動員を、日本の不法な植民地支配や侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的不法行為とみなし、強制動員被害に対する慰謝料の賠償請求権を認定しました。原告の求めているものは、未払賃金請求権ではなく不法な強制動員被害への慰謝料請求権(強制動員慰謝料請求権)であるとし、この請求権を確定したのです。

大法院は強制動員と強制労働の被害を認定し、植民地支配を不法とし、別会社論と時効論を否定しました。また、日韓請求権協定は民事的な債権債務関係を解決するものであるとし、反人道的不法行為に対する請求権は協定の適用対象外としたのです。

この判決は、強制動員企業に対する戦争被害者個人の賠償請求権を認め、強制動員企業の法的責任を明示するものでした。また、日韓請求権協定では強制動員の損害賠償は未解決であることを示すものです。戦争被害者の尊厳を回復し、市民の正義を実現させる画期的な判決でした。

 

2 安倍晋三の歴史認識

 

安倍晋三はという政治家は、歴史歪曲の行動を繰り返してきました。彼の考え方は戦後70年の2015年安倍談話に示されています。日ロ戦争は植民地支配下のアジア・アフリカの人びとを勇気づけたとし、朝鮮の植民地支配にはふれないものです。日本は満洲事変以後、進むべき針路を誤ったとしますが、アジアに対する日本の加害については具体的にふれません。アジアの被害者への謝罪の言葉はなく、連合軍捕虜との和解の努力については示すというものです。そして、子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはいけないとします。

 彼は1990年代から歴史歪曲に関与してきました。1997年、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の事務局長となり、歴史教科書の偏向を宣伝しました。2000年にはNHKの女性国際戦犯法廷番組に介入し、内容を改ざんさせました。2006年に首相となり、「慰安婦」については「狭義の強制性の証拠がない」とし、強制連行を否定しました。

ふたたび首相になると2013年、河野談話を批判し、靖国神社に参拝しました。2014年には朝日新聞へのバッシングをおこないました。2015年には安倍談話を出すとともに、日本軍慰安婦の被害者抜きでの日韓合意をおこないました。

95年村山談話のように日本が過去の侵略と植民地支配を認め、反省するという政治の動きに対抗し、政治権力を握ったのです。またメディアに介入し、安倍政治に批判的なキャスターを変えてきました。

 日本政府の戦時の朝鮮人強制労働に関する認識をみれば、20157月の「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録で次のように発言しました。「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ(brought against their will)、厳しい環境の下で働かされた(forced to work)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」(日本政府訳)。その後日本政府は、「forced to work」は「働かされた」であり、「強制労働の意ではない」、「戦時の朝鮮半島出身者の徴用は、国際法上の強制労働にあたらない」としました。

過去の強制労働についても認知しようとしないのです。大日本帝国の統治とその戦争の肯定、韓国併合の肯定、加害・植民地支配認識の欠落、強制労働の否認、安倍政権はそのような歴史観を持つ政治家たちによって支えられています。

 

3 徴用工判決への日本政府の対応

 

このような安倍政権は、韓国大法院判決にどのような対応したのでしょうか。日本政府の動きをみてみます。

201811月初め、安倍首相は国会でつぎのように発言しました。

「旧朝鮮半島出身労働者の問題につきましては、1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決しています。今般の判決は国際法に照らせば、ありえない判断であります。日本政府としては国際裁判も含めあらゆる選択肢も視野に入れて毅然として対応していく考えでございます。なお、政府としては徴用工という表現ではなくて、旧朝鮮半島出身労働者の問題というふうに申しあげているわけでございます」。

この発言では、朝鮮半島出身労働者の問題とすることで強制労働を否認しています。また、判決を国際法違反とし、毅然と対応するとしています。判決を認めず、韓国が国際法(日韓請求権協定)を破り、戦後の日韓関係を破壊したとするのです。日本が被害を受けていると強調し、植民地支配の加害者である日本を被害者として示すのです。メディアもその意向を忖度し、NHKは、「痛手を被ったのは被告企業ではなく、むしろ韓国政府だともいえるのでは」と報道しました(1030日記事)。

右派は、判決は日本統治を当初から不法とする奇怪な観念(日本統治不法論)によるものであり、無限の慰謝料請求がおこされる、日韓関係の根本を揺るがす危険な論理である、日本企業の原告との協議に応じない毅然たる姿勢が必要である、戦時動員は強制連行ではない、戦後補償は請求権協定で終わっているという国際広報をすすめるべきなどと煽っています(西岡力『でっちあげの徴用工問題』)。

 

4 日本政府による「ファクト」宣伝の問題

 

20197月、外務省はウェブサイトに「旧朝鮮半島出身労働者問題をめぐるこれまでの経緯と日本政府の立場」(ファクトシート)をアップしました。そこには次のように記されています。

大法院判決は、日韓請求権協定第2条に明らかに反し、日本企業に対し不当な不利益を負わせ、日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すものである。しかし、韓国政府は判決への是正措置をとらないし、外交上の協議に応じず、仲裁にも応じない。さらに韓国政府は、日韓両企業による拠出による財源をつくる案を示し、それを日本が受け入れるなら協議との提案をした。しかしこれでは、国際法違反の状態は是正できないから日本政府は拒否した。韓国側は大法院判決後、外交協議にも仲裁に応じないという協定違反を積み重ねた。

ここでは全責任が韓国側にあると宣伝しています。日本政府は協定違反の被害者であり、強制動員被害の認定・救済は不法・不当とされるのです。仲裁に応じるかは任意なのですが、河野外相談話では韓国が仲裁義務を不履行と非難しています。

このような認識の下で、日本政府は6月末に、韓国への輸出規制をはじめました。批判が高まると、貿易管理の見直しであり、対抗措置ではないと言い訳するようになりました。7月19日、河野外相は韓国大使の基金の再提案の発言をさえぎり、「無礼」と発言し、8月には韓国をホワイト国指定から外すことにしたのです。

これらは徴用工判決への日本政府による経済報復とみるのが妥当です。韓国を屈服の対象とみなしています。その根幹には植民地統治を正当とする歴史観があります。植民地統治は合法、強制労働はなかった、請求権協定で解決した大法院判決は国際法違反という認識の下で、日本を被害者とみなし、経済報復をする、このような植民地主義の継続を問うべきです。植民地主義は継続し、経済報復の形で現れているわけです。安倍政府の対応は、韓国内で「NO!安倍」の民衆運動を呼び起こしています。

 

5 日韓請求権協定第2条での解決とは

 

 日本政府は請求権協定で解決済みといいますが、この協定についてみてみましょう。

日韓請求権協定は1965年6月に結ばれていますが、正式には、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」といいます。

その第2条の1には、財産、権利及び利益と請求権が「完全かつ最終的に解決されたこととなる」とし、第2条の3には、「財産、権利及び利益」と「すべての請求権」に関して「いかなる主張もすることができない」と記されています。

 ここでの「すべての請求権」とは何をさすのでしょうか。

日韓交渉で韓国側は、対日請求要綱8項目を示し、その第5項に被徴用韓人の未収金、被徴用者の未収金や戦争による被徴用者の被害に対する補償をあげました。これは、戦争賠償の提示ではなく、財産請求の提示でした。

協定案の交渉途中である1965年4月3日の東京での日韓合意議事録があります。そこには、協定には韓国の対日請求要綱の範囲に属するすべての請求権が含まれ、協定の発効により対日請求要綱に関してはいかなる主張もなしえないことが確認される、また、日本漁船の拿捕から生じたすべての請求権についても韓国政府に対して主張しえないことも確認されると記されています。協定締結時の「すべての請求権」とは主として対日請求要綱と拿捕漁船請求権のことだったのです。1965年5月31日の協定第2条に関する交換公文(案)にも同様の記述があります。

協定締結前の65622日の合意議事録では、完全かつ最終的に解決されたことになる財産・権利・利益と請求権には、韓国の対日請求要綱に範囲に属するすべての請求権が含まれ、対日請求要綱に関してはいかなる請求もなしえないこととなると記されています。

このような協定条文作成での合意文書から、「すべての請求権」とは、韓国の対日請求要綱に関するものであり、財産請求権を示すものとみることが妥当です。

 

6「日韓国交正常化交渉の記録」からみた外務省の請求権処理

 

外務省アジア局北東アジア課内交渉史編纂委員会編による「日韓国交正常化交渉の記録」第2編の手記・座談会には、この問題をめぐる発言があります。

外務省アジア局長後宮虎郎は、「日本側としては韓国側が請求権問題の喰い逃げを図ることは絶対に阻止すべく強固な決意をもって」いたとし、「財産権や請求権の範囲」の問題があり、「法律上の規定ぶりをよほど固めておかないと、将来関係私人の提訴した訴訟の場において政府が敗訴するがごときことになれば、その混乱は図り知れざるものがある」(「日韓交渉に関する若干の回想」)と話しています。

外務省条約局長の佐藤正二は「こちらはonce for allで全部の請求権をつぶそうという考え」であり、「殴られて裁判継続中で実体的にはまだ損害賠償請求権が発生していないけれども文句はいっているというものまでつぶしておかないといけないからあとに「請求権」という字句を条文にいれた」(「日韓会談における請求権・経済協力協定第二条に関する交渉」)と言います。

請求権の範囲をどう見るのかは外務省にとっても課題でした。かれらは政策として、すべての請求権に損害賠償請求権をも含めようとしたのです。日本側の発言には、朝鮮の植民地支配に苦しんだ人びとの痛みを理解しようとする姿勢はみられません。植民地合法論、植民地近代化論に立ち、韓国側の請求権をつぶすことを目的としていたのです。 

ところで、当時、外務省の書記官で請求権問題担当していた小和田恒は、つぎのように話しています。「原則は全部消滅させるのであるが、その中で消滅させることがそもそもおかしいものがある」。「理論的にいってどこまでのものを消滅させ、どこまでのものを生かしたらいいのかという問題と政策的にいってどこまでのものを消滅させなければいけないのかという問題」があった(「日韓会談における請求権・経済協力協定第2条に関する交渉 合意事項イニシャル後協定調印まで(追録)」)。

この発言が示すものは、政策的には、対日請求要綱での財産請求権だけでなく、実体的には発生していない損害賠償請求権まで消滅させたかったのであるが、理論的には、個人請求権や損害賠償請求権そのものを消滅させることはできないと認識せざるをえなかったということです。

ですから、日本政府の請求権協定での請求権問題の解決に関する解釈は、政府の外交保護権の相互放棄を意味し、個人請求権を消滅させるものではないというところに落ち着いたのです。日本は日韓条約・請求権協定の締結後、財産措置法により、日本にある韓国人の財産、請求できる実体的な財産を消滅させました。しかし、個人請求権を消滅させることはしていません。賠償請求権も消滅させることもできていません。それは理論上無理なのです。

韓国の大法院判決は、強制動員企業に対し、強制動員という反人道的不法行為への損害賠償、慰謝料請求権を認めるというものです。ありえる判断なのです。

 

7 強制動員の実態

 

中国への全面戦争がはじまると、国家総動員法の下で労務動員計画が立てられ、朝鮮半島から日本への朝鮮人の労務動員がおこなわれました。この動員は、1939年からは「募集」、42年からは「官斡旋」、44年からは「徴用」の形でおこなわれました。警察署内に協和会が置かれ、動員数にあわせて警察官が増員され、監視を強めました。1944年には軍需会社法により軍需会社を指定し、現場での軍需徴用をすすめました。

軍務動員では、1938年から志願兵、1944年からは徴兵による朝鮮人動員がおこなわれ、軍要員、工員、軍夫などの名で軍属としての動員もおこなわれました。軍や事業所関係で「慰安婦」として動員された朝鮮人もいます。

日本への労務動員は約80万人であり、軍人軍属など軍務動員が約37万人です。南洋、サハリン、満洲にも労務動員がおこなわれ、朝鮮内でも勤労報国隊、官斡旋、徴用などで労務動員がなされています。

このような労務や軍務での動員を、朝鮮人の強制動員、あるいは強制連行といいます。徴用工とは、このような動員政策によって日本をはじめ各地に連行され、労働を強いられた人びとのことです。日本製鉄に動員された朝鮮人は19441月に日本製鉄が軍需会社に指定された際に、軍需徴用されていますから、徴用工です。

徴用工裁判では、三菱の広島工場に動員され、被曝した人々が原告になっています。この三菱重工の広島造船所では、朝鮮独立運動を理由に治安維持法違反で3人が検挙されています(「朝鮮人治安維持法違反検挙調」、「特高月報」原稿)。そのひとり、松本容鎮は194410月三菱重工広島造船所寄宿舎北寮にソウルの鐘路区から連行されました。かれは1942年に民族独立運動に参加して検挙され、懲役1年6か月、執行猶予3年の刑をうけ、保護観察処分の状態でした。広島の工場に徴用されると、動員者の思いを代弁し、現場で抗議の声をあげました。朝鮮独立まで死ぬまで闘う意思をもっていたといいます。

松本は45年2月に検挙され、4月、仲間の国本天弘、鈴川俊も検挙されました。6月、国本は二日市警察署の土壁に「朝鮮独立万才」と記して「縊死」したと記録されています。国本は京城商業実践学校を卒業し、東京の商業学校と中央大学の予科を中退し、ソウルの朝鮮畜産会社で事務員をしていました。植民地支配のなかで徴用され、朝鮮独立の行動に共感したのでしょう。

朝鮮独立運動には治安維持法が適用されました。独立運動を帝国の領土を奪い、天皇の統治権を縮小させ、侵害するものとみなして、適用したのです。植民地朝鮮の主権者は天皇でした。天皇が統治権、統帥権を持ち、天皇の主権の下で、朝鮮総督府が朝鮮の行政・立法・司法を握っていました。戦時の強制的な労務動員は天皇の統治の一環です。天皇制の植民地統治責任についても明らかにすべきです。

ここでは、三菱広島での抵抗の事例をあげました。一人ひとりの名誉が回復されるべきです。強制動員され、返還されなかった遺骨も存在します。「日韓請求権協定で解決済み」という論は現実をみようとしない、冷淡なものです。解決済みではない問題がいまもあるのです。南方・ミリ環礁での人肉食と朝鮮人軍属の反乱事件など、さまざまな実態の解明が求められているのです。

日本の歴史教科書、高校の教科書をみても、皇民化政策、日本語強制、志願兵制度・徴兵制実施、創氏改名などで朝鮮人の民族性が否定され、多くの人々を工場や炭鉱などへ強制的に連行されたことが記されています。

日本の判決でも、日本製鉄2001年の大阪地裁判決、三菱広島2005年の広島高裁判決、三菱名古屋2007年の名古屋高裁判決で、強制労働の事実が認定されています。ILOも2009年に朝鮮人・中国人の強制労働を認定しています。

安倍政権は日本の判決や歴史教科書の記述を無視し、戦時の強制労働を認知しないのです。

 

8 強制動員問題の包括的解決

 

最後に、この問題解決に向けての課題をあげます。

大法院判決、強制動員慰謝料請求権の確定をふまえた対応が求められます。日韓の友好は日本が植民地責任をとることからです。日本政府は韓国の司法判断への批判を止め、植民地支配の不法性を認め、その下での強制動員(強制労働)の事実を認知すべきです。

企業と原告との協議に介入してはなりません。65年協定が被害者の正義の実現の妨げとなっているならば、それを超える施策をとるべきなのです。韓国政府も強制動員問題を反人道的不法行為ととらえ直し、解決に向けて対策をすすめるべきです。 

強制動員に関わり、その歴史を継承する日本企業は、その事実を認知し、日韓政府とともに解決に向けて、共同の作業を始めるべきです。企業は被害者への賠償に応じ、和解をすすめるときです。 

さらに、包括的解決に向けて、日韓共同で財団・賠償基金を設立することが求められます。戦時に朝鮮人を労務動員した企業では、名前が変わっても現存しているものが数多くあります。企業の強制労働の歴史を振り返り、ドイツ企業が強制労働被害者との和解にむけ「記憶・責任・未来」財団に出資したように、和解に向けた財団・基金の設立をすすめるべきでしょう。

国際法を被害者の人権回復を中心に解釈するという視点が大切です。判決は日韓の友好やその基盤を破壊するものではないのです。過去の歴史を歪曲する政治が、友好を破壊しているのです。

強制動員慰謝料請求権の確定は人類史の成果とみるべきです。強制労働被害者の尊厳の回復・正義の実現の地平から、あらたな日韓の関係を形成するべきなのです。過去を清算する、強制動員問題をはじめ植民地責任をとろうとする真摯な取り組みが、信頼を生み、北東アジアの平和と人権への構築となると考えます。

解決済みとは、真相が究明され、被害者の尊厳が回復され、正しく歴史が継承されていくことです。平和の少女像が公的展示から排除される状況は強制動員の問題が解決されていないことを示すものです。

 

おわりに

 

わたしの母方の祖父は浜松で1908年に生まれ、1942年に再度、徴兵され、45年にフィリピンのミンダナオで戦死しています。その時、母は10歳でした。幼くして父と別れ、死を知った子の悲しいは深いものでした。祖母と母は「靖国」の妻と子でした。わたしの父は1945年に徴兵され、北海道の旭川に動員されましたが、生還できました。父が戦死していたらわたしは生れてはこなかったのです。戦争動員は未来の生を奪ってしまうものです。

義父も1945年に掛川から岐阜の連隊に動員されました。178か月の時です。出発の日の家族・親戚の写真がありますが、最後の別れの写真であり、笑顔の者はいません。天皇制を維持するために、17歳の青年まで収奪したのです。義父は生還でき、次の世代を育てることができました。

日本だけではなく、朝鮮や台湾からも青年を動員し、戦後、遺族に断わりもなく、靖国神社に神として祀っています。魂までも収奪しているわけです。

わたしは「靖国」の孫にあたりますが、学ぶなかで、靖国神社の戦争動員装置としての役割、その宣伝のウソを理解するようになりました。靖国神社の展示は戦争肯定であり、戦争を批判するものではありません。戦争への反省はなく、戦争責任の視点もありません。

このような「靖国」を賛美し、過去の戦争を肯定するものたちがいます、そのようなものたちが一掃されること、殺し合う関係をふたたびつくらせないことが大切と考えます。

20198月、第14回平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動での報告に加筆・竹内)