焼津でのフィリピン人労働組合の結成と活動

定住外国人

 焼津市と言えばマグロが有名です。バンドソーを使う解体などの一次水産加工の多くは外国人が多く働いています。

 晃洋書房から今年出版された「地方発 外国人住民との地域づくり」の中で静岡県立大学・国際関係学部の教授・高畑幸さんが詳しく解説してくれていますが、焼津市はフィリピン人比率が高いです。かつてはブラジル人が多かったのですが、10年ほど前にフィリピン人と逆転しています。

 派遣会社がそれなりに調査・研究したと思いますが、フィリピン人はマニラではなく、ミンダナオ島のダバオ出身者が圧倒的です。ですから言葉もタガログ語ではなくビサヤ語です。

よくある話……一本の電話

 前述の水産一次加工はバンドソーを使う危険な仕事です。日本人がほとんどやらないこの仕事で派遣会社が彼らに支払う時給は最低で1300円ほどです。経験を必要とする仕事のためか、派遣会社も「使い捨て」の政策は現在とっていないようです。

 日本に「稼ぎに来た」彼・彼女らは、定時間以上に残業をするので、朝の8時から夜の8時まで職場で働いています。

大家族の文化と派遣会社があっせんすることと重なってなのか、10件ほどのアパートはほとんど親せきということがありますし、雇用促進住宅はかなり彼らの住居が集中しています。

 国民の一割が「出稼ぎ」に出ているというフィリピンでは、数年に一度、まとまった休みを取って国に帰りたい彼ら派遣会社が有給休暇を認めないことが大きな不満でした。

 焼津で働くフィリピン人労働者からの相談が全国一般労組全国協議会に来たのは2015年の年末でした。

 その相談はうやむやになったのですが、「労働組合は相談に乗ってくれる」と思われたのか、「組合に入りたい」という声が二桁から寄せられ、個人加盟組合の結成は翌16年の2月でした。

 委員長の決起

 組合結成からわずか2か月、委員長が帰国するために20日ほどの有給休暇を取って、帰国します。帰国後給料明細を見ると「予想通り」支払われていませんでした。

 当然労働基準監督署に申告に行きました。そして監督官も派遣会社に出向いて説得をしてくれましたが解決できなかったため、簡易裁判所で少額訴訟を起こしました。

 裁判所まで引っ張り出される事態となった派遣会社は、委員長宅に通訳を連れて「組合が負けるからやめろ」と説得に来ましたが、委員長は相手にしませんでした。

裁判所で派遣会社の主張が認められるはずもなく、「毎月二日分、10か月分割支払い」で決着となりました。

当たり前の勝利、満点をつけられるものではありませんが、組合に参加して日本の労働法を活用すれば、生活の改善ができることを現実で明らかにしました。

まさかの解雇・そして闘争

ほぼ同じころ、社会保険の加入がすすめられたのですが、負担の労使折半すべきところを企業負担分を捻出するために一方的な賃下げをする派遣会社が多く出てきました。

賃金を一方的に下げられた委員長が派遣会社に団体交渉を申し入れたところ、散々引き延ばされた挙句、交渉に指定された日に出向くと、賃金を下げた契約書を示され、「サインしなければクビ」と迫られます。委員長はサインしなかったため、解雇になります。

 再度闘いを決意した委員長に地区労を通じて弁護士さんが決まりました。

通訳、行政書士がすぐに集まってくれ一回目の打ち合わせでは委員長はもちろん家族も感激していました。

解雇撤回されたものの

不当な解雇に対する法廷での闘い地位保全の仮処分として始まりますが、派遣会社はわずか3か月で解雇を撤回し、解雇した時期の賃金の支払いを示します。

しかし、原職への復帰ではなく、新たな職場として賃金の安い職場などとしたため、本訴での争いへ引き継ぐことにしました。

派遣会社の変化

委員長は他の職場を見つけて働くとともに、裁判は派遣会社の解決金支払いで18年の11月に終了しました(労働情報に既報)。組合の反撃に懲りたのか、その派遣会社は年休の申請には応じるようになったというのは他の組合員からの声です。 

その間、委員長にはあちこちから声がかけられ、組合員の登録は百人近くになっています。

地域で共生するために

解雇により雇用保険を受け取っていた時期、委員長はハローワークの主催する日本語教室でそれまでとは違うフィリピン人と知り合い、焼津市でフィリピン人たちのNGOをあれよあれよという間に立ち上げます。

結成には200人のフィリピン人が集まり、政府の方針なのか、大使館からも職員が派遣されていたこともあり、新聞にも取り上げられました。ドゥテルテ大統領の人気がここでもとても高いので大分面食らったのは何人かの日本人出席者です。

焼津市では主要な産業の担い手であるという評価があってなのか、行政も共生に積極的な面が多く見られます。また、生活を支える団体が地域にあり、日本語のわからない子供のための学習支援団体「いちご」があります。クリスチャンの多いフィリピン人、は日本人のイメージとは違う教会で日曜の午前、明るく交流しています。労働組合はまさに「新参」です。これらがうまく全体をつなげる知恵を出し合い、文化共生モデルを成熟させることができれば一つの理想形です。

地域・外国人の交流

静岡県ユニオンネット、全国一般、コミュニュティユニオン全国ネット・同東海ネット、それぞれで外国人、とりわけフィリピンの仲間が運動を担い、成果をあげています。

組合結成一周年の大会には、争議勝利から半年ほどのユニオンみえ・シャープピノティがカンパを持って焼津に来てくれ、遅くまで交流していきました。コミュニュティユニオン東海ネットの昨年の合宿では、焼津の組合員は土曜は欠席ですが、日曜の朝三重にやってきて、「外国人交流会」をやっていきました。これは全国一般の大会をパクったのです。

昨年は名古屋ふれあいがラジエター大手、ティラドで働いていたフィリピン人に対して「無期転換逃れ」の退職強要に対して組合を結成し、雇止めの撤回など組合の要求をすべて受け入れて勝利しました。今年の東海ネット合宿で彼らと焼津の仲間がどんな話をするか楽しみです。

静岡県ユニオンネットでは浜松を中心とした遠州連帯がずっと先輩にあたるのですが、今年も不当解雇未払い賃金の事件で勝利判決を実現しています。

静岡ふれあいユニオンは焼津の水産加工という同じ職場域でペルー人の労災などを担ってくれています。

「組合ごっこ」から

その反面、年次有給休暇も派遣会社側が対抗措置をとってき始めたこともあります。

組合活動の基本は委員長の頑張りだけではとても進まないわけで、一人一人の組合員に自覚的になってもらうことが必要です。学習にやっと手をつけたのが現状です。

やっぱり厳しいのは「言葉の壁」です。しつこく説明したつもりなのに通じていないことは何度となくありました。「当事者としての団体交渉」が一度もできていない組合の歯がゆさは一番大きいです。

最後に、彼らはとても明るいです。首を切られた直後、委員長は笑顔で「ダイジョウブヨ」と言っていたのですから。

あれだけ働いているのに、土曜の夜にはホームパーティーとカラオケ(各家庭に大きなモニターとカラオケがあります)を、日曜日にはバスケットボールを楽しみます。ユニフォームの胸には組合のロゴと、お世話になった弁護士さんの名前が入っています。

大家族・親戚単位で30人以上でバーベキューをやります。この明るさを日本の労働組合にも「伝染」させたいものです。                                                (望)