日韓関係で問われていること ―強制労働問題の解決を―          11・8オンライン集会での報告・竹内

 

 

「日韓関係で問われていること」の題で、戦時の朝鮮人の強制労働問題の解決に向けて考えていることを話します。

アジア太平洋戦争での総動員態勢により、朝鮮半島から日本へと八〇万人に及ぶ朝鮮人の強制動員がなされたのですが、その歴史の否定を狙う動きがあります。そのような動きには、韓国徴用工判決での日本政府の対応、明治産業革命遺産での産業遺産情報センターの展示、韓国右派による「反日種族主義」論などがあります。

 

 韓国徴用工判決での日本政府の対応

 

では、二〇一八年一〇月の韓国大法院での徴用工判決に対する日本政府の対応の問題点からみていきます。

この判決は、動員した企業に対して動員被害者の「強制動員慰謝料請求権」を確定するものでした。判決は一九六五年の日韓請求権協定を民事的な債権債務関係を解決するものとし、強制動員という反人道的不法行為に対する請求権については日韓請求権協定の適用対象外とみなしたのです。判決は、強制動員企業の法的責任を明示し、強制動員という戦争被害者の尊厳を回復し、正義を実現させる画期的なものだったのです。

しかし、安倍首相は国会発言(二〇一八年十一月)で、朝鮮人強制動員(強制労働)の問題を、「旧朝鮮半島出身労働者」の問題と言い換え、強制労働を認知することもなく、問題は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決」しているとしました。そして、「国際法に照らせば、ありえない判断」と語り、「あらゆる選択肢も視野に入れて毅然として対応」するとしたのです。

このような安倍首相発言を受けて日本政府は、日本が韓国による協定違反の被害者であるかのように宣伝し、強制動員の被害救済を不法・不当なものとしたのです。そして韓国を屈服の対象とみなして輸出規制(経済報復)を発動するに至りました。

「日韓関係が悪化した」と言われますが、強制動員の被害救済を認めた大法院判決が悪いのではなく、過去を反省できない日本政府の対応に問題があるのです。安倍政権による強制動員の歴史否定の姿勢、これは「日本会議」の歴史観でもあるのですが、そこに問題があるのです。

日韓請求権交渉では、日本側は植民地合法論、植民地近代化論に立ち、韓国側の請求権をつぶすことをねらっていましたが、請求権協定締結に際し、日本政府は日韓請求権協定が個人請求権を消滅させるものではないと認識していました。請求権協定での日本側の個人請求権の処理についての見解は、「日韓国交正常化交渉の記録」(第2編手記・座談会、外務省アジア局北東アジア課内交渉史編纂委員会編)の記事からも知ることができます。

たとえば、外務省書記官として請求権問題を担当していた小和田恆は、「原則は全部消滅させるのであるが、その中で消滅させることがそもそもおかしいものがある」。「理論的にいってどこまでのものを消滅させ、どこまでのものを生かしたらいいのかという問題と政策的にいってどこまでのものを消滅させなければいけないのかという問題」があったと語っています。

つまり、国の政策としては個人請求権や損害賠償請求権そのものを消滅させたくても、個人の権利は理論的には消滅させることはできないとを判断していたのです。ですから、協定の説明としては、政府の外交保護権の相互放棄であり、個人請求権を消滅させるものではないとしたのです。韓国大法院はこの個人請求権を認め、企業に対して賠償を命じたのですから、請求権協定に反する判断ではないのです。強制動員という反人道的行為に対する被害者の救済がなされたということ、それは国際人権法の進展という歴史的経緯から見れば、至当な判決であったのです。

日韓の友好にむけて国際的人権法の視点から強制労働の問題を解決すべきでしょう。日本政府は韓国の司法判断への批判を止め、植民地支配の不法性を認め、強制動員(強制労働)の事実を認めるべきなのです。また、解決に向けての企業と原告との協議に介入してはならないのです。日本企業は被害者への賠償に応じ、和解をすすめるべきです。日本政府はこの問題の包括的解決に向け、日韓共同で財団・賠償基金を設立するなどの仕組みを作ることが求められていると思います。

 

    明治産業革命遺産・産業遺産情報センターの展示

 

つぎに「明治日本の産業革命遺産」での強制労働否定の動きについてみてみます。

二〇一五年に日本政府、官邸主導で「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されました。この産業遺産は明治期の資本形成や技術革新を賛美しています。この産業遺産には、二〇一五年の安倍談話のように日露戦争を賛美し、朝鮮の植民地支配をみないという歴史認識が反映されています。

三池炭鉱、高島炭鉱(高島・端島)、八幡製鉄所、長崎造船所などは戦時に強制労働がなされた現場です。世界遺産登録に際し、強制労働についても記すべきという批判が出され、その歴史を含む全体の歴史の提示が求められました。その批判に応え、日本政府は戦時に「その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」と発言し、「(第二次世界大戦中に)徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」、「インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために必要な措置を説明戦略に盛り込む」としました。この発言は強制労働を認めているかのような表現ですが、実は日本政府は、日本統治下での徴用は合法、日本への動員は強制労働ではないと認識していたのです。

その後、世界遺産登録をすすめてきた産業遺産国民会議は「世界遺産・軍艦島〔端島〕は地獄島ではありません」と訴える映像をウェブサイト(真実の歴史を追求する端島島民の会の応援サイト)に掲載し、「軍艦島の真実」というウェブサイトも運営し、「軍艦島で強制労働はなかった」と宣伝するようになりました。

そこでは、「元端島島民」の発言を引用し、日本人と朝鮮人は一緒に働いた。景気がよく家族連れで来ていた。みんな友達で差別したことはないなどと宣伝しています。そして「軍艦島は私たちの故郷です。地獄島ではありません」「ねじ曲げられた歴史の宣伝に私たちが屈することはありません」とし、戦時中に強制連行され、ひどい虐待を受け、人権を蹂躙されたと主張する人々がいるが、その多くは事実と異なる証言や証拠によるものであり、強制連行や虐待はねつ造というのです。

産業遺産国民会議によって作成された映像は、軍艦島だけを焦点としています。その映像は強制労働否定の筋書きにより、証言が恣意的に編集され、旧島民の認識の不十分性については検証されることもなく構成されています。高島炭鉱(高島・端島)や三池炭鉱には明治期での圧制や虐待の史料があるのですが、その提示はなく、戦時に動員された朝鮮人や中国人などの証言や動員資料も紹介されません。朝鮮人や中国人の証言については誤りとみられる箇所だけが提示されます。

「(元島民に)虐待を受けたという証言はなかった」とし、強制連行や強制労働について認めようとしないのです。

そこでは端島での家族的一体感が語られますが、労資関係は示されません。世界遺産登録による観光地化と元端島島民の郷愁をもとに、自らに都合のいい歴史の物語が示されています。歴史を批判的にみて、被害者の側に立って考える、歴史から人権と平和の教訓をえるという姿勢がみられません。

このように主張する産業遺産国民会議が日本政府によって東京に設立された産業遺産情報センターの展示の計画や運営を委託されたのです。その館長には世界遺産登録を推進し、そのなかで産業遺産国民会議の専務理事となり、さらに内閣官房参与の地位にもあった人物がなりました。

その人は産業遺産情報センターを訪問したジャーナリストや市民の行動を録画し、その発言や記事を非難する記事を産業遺産国民会議専務理事の肩書で右派の雑誌に書いています。公的機関の館長として知りえた情報を無断で公開するという行為を繰り返しています。また、不確かな個人情報をもとに個人を「反日」「活動家」などと誹謗し、センターの展示を正当化しています。

高島炭鉱を経営してきた三菱が一九八八年に高島に建てた慰霊碑には、「中国並びに朝鮮半島から来られた人々を含む多数の働く者及びその家族が、民族・国籍を超えて心を一つにして炭砿の灯を守り、苦楽を共にした日々を偲ぶ」と記されていました。その後、三菱は中国人連行者(高島炭鉱への連行者を含む)に対して強制労働を認め、謝罪し、和解をすすめたのですが、それ以前の歴史認識が増幅されているようです。日本政府と三菱は朝鮮人強制労働の歴史を明らかにしてこなかったのですが、新たな形で強制労働の歴史否定があらわれています。このような認識は、「産業報国」「内鮮一体」「労資一体」といった戦時動員思想を肯定するものです。そのような認識でよいのでしょうか。

 

 韓国右派による「反日種族主義」論

 

日本での強制労働否定の動きに呼応し、韓国では右派による「反日種族主義」の名による強制労働の否定がなされるようになりました。その論は動員と労働での強制性や差別を否定するものです。

「反日種族主義」論では、韓国は嘘つき文化、米は収奪ではなく輸出された、日本軍慰安婦は性奴隷ではない、強制労働はなかった、請求権協定で過去史は清算されたなどと宣伝されています。

ここでは、「反日種族主義」論での強制労働の記述についてみてみます。

そこでは、強制動員・強制労働を「歴史的虚構」とします。強制動員は研究者による捏造である、原告の主張は嘘である、朝鮮人労務動員は強制連行・奴隷狩りではなく自発的意思または徴用という法的手続きによるものである、日本人と朝鮮人の賃金格差を調べると民族差別はない、日常生活は自由であり日本人と同じ条件での戦時労働であった、動員者の四六%が炭鉱の地下労働だが日本人と同等の待遇だった、民族差別はなく制度的・組織的・継続的差別は存在しなかったなどと記しています。

このように強制労働の否定を記す人物は長崎県にあった江迎炭鉱の賃金台帳を分析し、強制労働も民族差別も見られないという趣旨の論文(韓国語)を記しています。その論文には、「非常に誠実」で高い賃金を得ている朝鮮人の例として、金南□の賃金台帳(一九四四年五月分)が掲載されています。

その賃金台帳を見ると、金は一九二二年五月に生まれ、一九四二年一〇月に動員され、収容寮に居住したことがわかります。台帳によれば、一九四四年五月の労働での休日は一日だけであり、一か月の労働時間は五一六時間にも及びます。徹夜労働による三六時間労働が繰り返され、五月二日から四日の三日間では、二日が二四時間、三日が二四時間、四日が一二時間と、連続して六〇時間もの労働がなされています。実労働日数の三〇日で全労働時間を割れば、一日約一七時間の労働となります。このような月五一六時間の労働での賃金が一七一円八銭であり、ここから税金、貯金、寮食費などが控除され、支給額は八五円三五銭となっています。強制貯金額は四五円ほどになります。

この賃金表については、労働の誠実性を示すものではなく、動員された朝鮮人への長時間労働の酷使を示すものとみるべきでしょう。動員朝鮮人への安全や健康への配慮の無さも指摘できます。

 中央協和会、石炭統制会、厚生省勤労局の資料から、江迎炭鉱には一九三九年一二月から四四年五月までの間に一五〇〇人を超える朝鮮人が動員されたとみられます。動員された朝鮮人の名簿も残っています。

朝鮮人の氏名を日本人のように変え、炭鉱労働に大量に動員し、長時間の労働を強いたこと、移動の自由を奪い、時に暴力を使って就業させたこと、そこに強制と差別をみるべきでしょう。日本人との賃金格差を比較し、高賃金の労働例を示し、差別はなかったと宣伝する行為は間違っているのです。

 

●歴史への反省と他者への共感

 

このように強制労働を否定する宣伝が盛んになされ、偽情報がSNSで拡散されています。

その論の背景には次のような考え方があります。

韓国併合は合法であった。韓国は日本統治で発展した。その下での動員は正当である。韓国独立に伴う債権債務関係は六五年日韓請求権協定で解決した。にもかかわらず大法院は徴用工判決で被害者に賠償を認めた。そのような判決は請求権協定に反するものであり国際法違反である。韓国は日本の産業革命遺産の世界遺産登録を妨害しているが日本は韓国の反日行為により被害を受けている。

このようなものですが、それでいいのでしょうか。

このような考え方に対し、韓国併合は不法であった。韓国の植民地支配によって日本による収奪がなされた。その統治での動員は不当なものであり、反人道的な強制動員がなされた。その強制動員の不法に対する賠償問題は六五年日韓協定では未解決であった。今回の大法院判決は国際人権法の認識に沿うものである。未清算の問題への対応が求められる。世界遺産登録に際して日本は強制労働を認知すべきである。強制労働の歴史を語り伝える必要がある。

このように考えることで韓国との真の友好もすすむと思います。

韓国併合を合法とし、日本の統治を正当とするならば、三・一独立運動は不法なものとなってしまいます。そのような思考では日韓の友好を形成できないでしょう。

 韓国併合合法論・強制動員正当論には、歴史への反省と他者への共感がみられません。それは支配権力の側から見た歴史であり、日本中心の思考です。自己中心的な歴史認識であり、過去の戦争と占領を「アジア解放」、「大東亜共栄」「内鮮一体」などと語り、正当化する考え方です。支配された側、他者への共感は欠落しています。

 そのような姿勢をあらため、過去の歴史を反省し、労働者民衆の側から歴史を見ることが大切です。日露戦争など過去の戦争を批判する視点が求められます。日本中心の思考を克服し、他者への共感力を高めることが求められます。

 近年、真実に向かい合うのではなく、自らに都合のいい情緒的な物語に迎合する動きが強くなっています。そのような動きを批判できるような歴史認識の力が求められていると思います。

 

●日韓の歴史をどう教えるか

 

最後に、日韓の歴史教育に関して、三つの視点をあげます。

第一に、日韓友好の長い歴史に学ぶことです。日本の国家形成にあたり、仏教、漢字、絵画などの渡来の朝鮮文化は、飛鳥での文化形成のように大きな影響を与えました。中国から朝鮮を経て、日本での国家・文化の形成がありました。朝鮮通信使も秀吉の侵略後の友好関係の形成の中で生まれ、その通信使の残した文物は日本各地で友好の証として継承されています。日韓の友好、文化の歴史を見ることが大切だと思います。戦争もありましたが、戦争は一時、文化は永遠です。

 第二に、近代の加害と抵抗の歴史について学ことです。近代に入り、日本では新政府が生まれましたが、海外侵略の道をすすめ、日清戦争、日露戦争を行い、朝鮮を保護国とし、占領し、植民地としました。朝鮮での抵抗や独立の運動を弾圧し、中国への侵略戦争をすすめる中で、皇国臣民化を強め、物資や人間を総動員しました。その中で、戦時の強制動員・強制労働も実行されたのです。

二〇一九年は三・一運動一〇〇年の年であり、韓国では資料がデジタル化され、日本からも資料をウェブサイトから閲覧できるようになっています(http://db.history.go.kr/samil/)。憲兵警察制度の軍事支配の中、民族の自己決定を訴え、起訴されようとも強盗日本に裁く権利はないと語った民衆の歴史がありました。民衆の側から歴史をみていくことが大切であると思います。

朝鮮人と共同して活動した日本人もいました。様々な歴史があり、映画にもなっています。歴史を学べば、朝鮮の占領を「併合」という名で正当化することはできないでしょう。

 第三に、冷戦と民主化の歴史、日韓の友好連帯の活動に学ぶことです。いわゆる冷戦は南北朝鮮の分断、朝鮮戦争を生みました。南では分断の中で開発独裁が生まれ、それに対する民主化の動きが起きました。日韓市民の友好・連帯の活動もすすみます。南北の平和的統一の声も強まりました。二一世紀に入ると韓国では過去清算の動きが強まり、戦時の強制動員に関する政府レベルでの真相究明もなされるようになりました。

民主主義と人権、平和形成が価値意識として共有される時代となりました。冷戦期の束縛から自由になり、民主化を描いた映画も制作されるようになりました。教材にできるものは数多くあります。

 

強制動員の歴史現場を平和友好の場へ

 

 日本の各地に強制労働の現場があります。私が最初に調査した場所は、静岡県掛川市にある中島飛行機の地下工場跡でした。日本の各地に強制労働の現場を調べ、地域での日韓、日朝の友好をすすめる人々がいます。強制労働の歴史を刻む追悼碑も設置されています。それは強制労働の現場を平和と友好の拠点とする試みです。

在日の歴史は植民地支配とその下での移民、さらに戦時の強制動員の歴史によるものですし、戦時に強制労働がなされたことは否定できない事実です。宣伝されている「強制労働否定論」は真実ではありません。動員被害の真相究明、被害者の尊厳回復、その歴史の継承と友好の形成が求められると思います。

 沖縄戦の戦場に動員され、捕虜となった在日朝鮮人がいました。米軍による捕虜の尋問調書が残っていますが、その記録を読むと、日本の支配への抵抗意識があり、新たな時代を創ろうとする意思が生存への道を歩ませたことがわかります。強制動員の戦場からの生還には帝国支配の否定と新時代への希望の意思が脈打っていたのです。現実を批判し、新たな歴史を創造するという意思が大切であるというわけです。

人間にとって大切なものは生命です。生命は平和的関係がなければ維持できません。平和的な関係をつくるには歴史認識が不可欠です。生命・平和・歴史認識の三つが大切だと思います。

歴史認識の形成においては歴史教育が重要です。歴史を反省し、他者の痛みを知るという姿勢が大切であり、それが植民地主義の克服への方向づけとなるでしょう。自らに都合のいい物語を作りあげて真実を軽視するという動きが強まるなか、そのような動きに屈しない批判力を持った主体の形成が必要と思います。
 コロナ禍を契機に防衛の名の軍拡に向かうのではなく、防疫の国際的共同をすすめ、「人間の安全保障」に向かうことを望みます。