10・28,29  T400浜松基地移転抗議行動

 2021年10月29日、空自浜松基地への美保教育部隊(T400)の移転が完了することになった。それに対して以下の行動をおこなった。10月28日18時からJR浜松駅前北口 「T400浜松基地移転抗議市民行動」スタンディング、10月29日10時から浜松基地正門で要請行動。

 

 

日本国首相様                         2021年10月29日

防衛大臣様                          人権平和・浜松

浜松基地司令様                        NO!AWACSの会・浜松

  浜松基地への美保基地第41教育飛行隊(T400)移転に抗議し、浜松基地の縮小・撤去を求める要請書

 2021年10月29日、航空自衛隊浜松基地への空自美保基地第41教育飛行隊(T400)の移転が完了します。わたしたちはこの移転に抗議し、浜松基地の縮小・撤去を求めます。

防衛省はこの移転を、効果的で質の高い教育のための移動と説明しますが、それは移転の背景を隠すものです。その背景には、2015年に日米防衛協力指針が再改訂され、グローバルな日米の軍事協力がすすんだこと、中国を仮想敵として台湾有事が宣伝され、沖縄・九州での軍拡がすすめられていることがあります。

そのなかで米軍岩国基地が強化され、空自美保基地に米軍への給油もできる空中給油機の配備がすすみ、それにより、美保基地から教育隊が浜松に移動することになったのです。それは戦争準備によるものです。このような動きは、市民の平和的生存権を侵害するものです。

これまでの浜松基地のひと月の離着陸回数は約1750回ですが、T400の離着陸は月650回とみられ、移転によりひと月2400回近い離着陸がなされることになります。それは市民の生活環境を悪化させ、生活権を侵害するものになります。

浜松に陸軍の航空隊基地ができたのは1926年のことです。置かれた飛行第7連隊は爆撃部隊であり、満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争と派兵を繰り返し、満洲から中国、シンガポール、ビルマ、インドなど各地を爆撃し、無差別爆撃もおこないました。浜松は戦争の拠点となったのです。三方原では毒ガス攻撃の訓練も行われ、中国戦線では毒ガスが実戦で使用されました。この軍事基地の建設に伴い、浜松では軍需生産が盛んとなりました。そのような軍事基地と軍需工場に対して米軍は激しい爆撃を加え、浜松市民3500人以上が生命を失いました。

戦後は航空自衛隊浜松基地となりました。第1航空団が置かれましたが、F86Fなどの墜落・不時着事故は20回ほど起きています。1960年代に基地機能が強化され、教育集団司令部や教導高射隊も置かれました。1982年にはブルーインパルスの墜落事故が起きました。

日米の共同作戦態勢が強化されるなかで日米の防衛協力指針が改訂されました。それにより日米は日本周辺での軍事協力を強め、1999年・2000年には浜松基地に空中警戒管制機(AWACS)が配備され、警戒航空隊の司令部も置かれました。空自の広報館も建設されました。また、2003年のイラク戦争に伴い、浜松基地からも派兵がなされました。さらに2008年にはパトリオットミサイル(PAC3)が配備されました。浜松基地は日米によるグローバルな戦争に対応し、ミサイル防衛(MD)と派兵の拠点となったのです。さらに今回、T400部隊が移転し、基地機能が強化されるのです。

浜松に航空基地ができてから、もうすぐ100年です。このような基地の存在と軍拡の歴史を私たちは望みません。浜松は他者を殺戮する戦争の拠点であってはならないのであり、浜松が国際的な平和的生存を守る都市であることを望みます。基地機能を強化するのではなく、その基地の縮小・撤去を求めます。軍事基地は、浜松にも、どこにも要らないのです。