3・25・26・27袴田再審・第10・11・12回公判

2024年3月25、26、27日と静岡地裁で袴田事件再審第10回・11回、12回公判がもたれた。傍聴希望者は25日が約80人、26日が約100人、27日が約130人ほどだった。法廷入り口では、あいかわらず荷物の預けや金属チェックなされた。法廷の入り口には傍聴人はカメラなどをポケットやカバンに入れることや携帯電話などの電源を切るように指示されているが、袴田公判ではカバンや携帯は預けることを強いられ、女性の小さなかばんは中まで検査される。異常で、過剰な入廷制限である。市民の裁判傍聴権の侵害である。東京からも監視担当者が動員されているという。

今回の公判では、犯行着衣とされた衣類の血痕に赤みが残るか否かをめぐり、検察と弁護側がそれぞれ証人を立てた。

25日には検察側の証人尋問がおこなわれた。池田典昭証人は、一般的に1年2か月以上味噌漬けにした血痕に赤みが残らないのは当然としつつも、阻害要因の検討が必要であり、赤みが残るかは分からないとした。神田芳郎証人は今回出した共同鑑定書により、赤みが残る可能性があるとするものだった。その発言は、赤みは主観的なものとしつつも尋問に対しては「分からない」と答えることが多かった。

 

26日には、弁護側から神田証人に尋問がなされた。尋問に対して、1年以上味噌に漬かっていても酸素濃度が減少することで血痕の赤みが残る可能性があると答えた。応答により、2か月で作成した共同鑑定書においては何も実証実験はせず、推定しての記述であることが分かった。

午後には弁護側の証人尋問がなされた。清水恵子証人は、1年2か月の間、味噌に漬かれば赤みが残ることはない、発酵での酸素濃度の減少はほとんど影響がないとした。また、共同鑑定書を「抽象的な可能性を指摘するだけで科学的な反証とは言えない」と批判した。奥田勝博証人は味噌タンクに入った衣類の血液は空気と触れて酸化し、味噌の原料が入れられることでその分解が促進され、変性すればさらに色調は黒色化すると証言した。石森浩一郎証人も弁護側の鑑定には問題がないとし、血痕は1年2か月味噌漬けにすれば味噌の弱酸性と味噌の塩分で赤みは残らず黒色化するとした。

弁護側証人により、1年2か月の間、味噌に漬かった衣類の血痕の赤みは残らないことが明らかにされた。

27日には石森証人への検察側尋問がなされ、午後には裁判官による5人の証人への尋問(対質)がなされた。対質では検察側証人は一般論としては赤みが残らないことを認め、一年以上味噌漬けされた場合では、赤みが残る可能性がないとはいえない(神田証人)、可能性もあるのではないか。そうでなければ直前にタンクに入れられたのでは(池田証人)とした。検察証人は赤みが消えることを全否定できなかった。


 
 

27日、日本弁護士連合会が会長・副会長をはじめ、公判支援に駆けつけた。 街頭では静岡地裁で2014年に再審決定を出した村山浩昭弁護士も再審法改正を訴えた。昼には日弁連主催の「袴田事件から見た再審法改正の必要性」の学習会が持たれた。袴田事件では第二次再審請求で2011年になって5点の衣類の写真等が開示されたが、死刑確定から31年も立ってのことである。また静岡地裁が再審を決定しても検察の即時抗告により再審開始は9年後になった。それは再審法改正の課題を明確に示すものである。  

袴田再審公判では、検察は有罪の立証ができていない。検察が示した共同鑑定書は赤みが残る可能性があるというものである。その理由に、発酵による酸素の不足、血液と血痕の違いをあげているが、赤みが残るか否かの実験はなされていない。可能性をあげるだけの鑑定書に依っていても立証にはならない。

この共同鑑定書は日本法医病理学会(遺体の検視などをおこなう医師が所属)の7人の学者によって記されたが、検察の意向を受けた理事長の近藤稔和の依頼によるものという。研究費の受給などの利権が背景にあるとみられる。

弁護側の清水恵子証人も法医病理学会に属しているが、弁護側でDNA鑑定報告をおこなった本田克也教授は学会内で疎外されたという。共同鑑定書を記した神田証人の答弁は検証なしで赤みが残る可能性を語るだけだった。裁判官は神田証人に「1年2か月漬かっていたらどうなるのか」と聞いたが、「答えようがない」と語った。これでは裁判官の信用を得られない。

もともと犯行着衣とされる5点の衣類は、1年2か月も味噌タンクに漬かってはいない。漬かっていれば、ステテコの色は味噌色に変色するはずだが、白い色が残り、血の色も赤いままである。後から証拠をするために味噌タンクに入れられたものとみるしかない。

検察は犯行後の6月30日に少量の味噌が残るタンクに入れられたとする。20日後の7月20日には醸造用味噌が入れられ、衣類は1年2か月後に発見された。しかし赤みが鮮明に残っていた。味噌タンクに入れられたが、味噌は少量であり、衣類を隠す量ではなく、20日の間は、空気に触れる状態であることになる。そうすればその間に変色がすすむ。しかしこの問題を検察は示そうとはしない。

今回の証人尋問により、検察側の共同鑑定書が信頼性のないものであること、犯行着衣が証拠には当たらないことが明白になった。裁判官による証人への質問は、無罪判決を書くための確認の質問のようだった。

(T)