2006夏:沖縄・辺野古の旅

 今、辺野古は小休止という状態だ。しかし、夏休みのためか、来客は多いようである。私の訪れた8月23日にも、3時間ほどの間に、母娘一組、岡山からYMCAの小学生を中心に30数名、個人で5名程が訪ねてきた。

「日本がもし、100人の村であったら、沖縄県の人は何人になるでしょう?」答えは一人。「日本の中にある、米軍基地を100kgのおもりにたとえたら、沖縄の人たちは何kgのおもりを背負っているのでしょう?」答えは75kg。こんな会話を混ぜながら小学生に沖縄のこと、辺野古のことを話し、ボーリング調査に関わる闘いを熱く語っていた。

これまで、テントへの来訪者は30,000人、海上阻止行動参加者は3,000人。海上では生命をかけた闘いが行われ、力強い報告もされていた。辺野古で学んでいった中学生、高校生が地元へ帰って行動し始めているようだ。

テント内では「ここに来てくれた皆さんが、〈小泉首相に平和のための手紙を書く〉、そんなことでも、皆がやれば大きな力になる」と、呼びかけていた。署名活動なども、日本各地で若者たちが中心になり、始められたようである。

 さて、米軍普天間飛行場の移設先のキャンプ・シュワブには文化財がある。日本政府はその埋蔵文化財の調査を年内にも着手する意向だ。10月までに代替施設の建設計画を日米間で策定し、その後、文化財調査を含む環境アセスメントを実施する。一方、米側は、シュワブ内の兵舎など関連施設の移転工事を来年1月に開始するように日本政府に求めていくようだ。新基地の完成は2014年までを目標にしている。

 一見、静かに見える辺野古であるが、水面下では、着々とシュワブ沿岸への移設準備が進んでいる。韓国のメヒャンニでは、米軍の射爆場を住民の力で閉鎖した。しかし、その後、ピョンテクの米軍基地拡張では、住民の土地が奪われている。静岡空港の収容委員会を見ても、一旦権力を握った人たちは、こうも住民の声を聞かなくなるという姿を示している。

V字型滑走路を受け入れた直後の島袋名護市長の支持率は0%になったそうだ。新しい基地建設には、依然、県民の85%の人が反対している。11月の沖縄県知事選、これに勝つことができれば、明るい見通しも出てくるのであろうが、私のいた一週間でも野党統一候補選出をめぐって揺れていた。この知事選に勝利できなければ…と沖縄の人々は静かに行方を見守っているようだった。

新しい滑走路はほぼ全体が米軍基地内にあるため、今回のキャンプ・シュワブ沿岸の滑走路建設に対する阻止行動は、大変な困難が予想される。日本政府も前の轍を踏まないようにやってくるだろう。こんなに闘ってきたのに、残念ながらまだ終わりは見えない。これからが本当の闘いになるのだろう。

この闘いのために、自分の生活まで変えてしまった人々が少なからずいた。距離的には離れてしまうこの浜松でも、できることはあるはずだ。少なくとも、首相にお手紙ぐらいは…。                                (池)