2006年春 沖縄の旅
沖縄は大変静かに見えました。3月31日は旧暦3月3日で潮の満ち引きが1年中で一番大きい時期、市民は皆、海にでて潮干狩り等で遊んでいました。4月2日には、那覇でも海開きが雨の降るなかで開かれていました。しかし、沖縄民衆はじっと島袋
辺野古の座り込みテントに観光バスで激励に来る人たちがたくさんいます。4月1日にチビチリガマを訪れたあとで辺野古へ向かった人たちがありました。そのときに、座り込みのリーダーの一人が語りました。「辺野古に応援に来てくれるのは大変うれしい。しかし、本音を言わせてもらえば、複雑な気持ちになのです。応援ではなく、辺野古に通って欲しい。これは抗議行動ではなく、阻止行動です」と。これを聞いた私の友人は、今までは暇なときに辺野古へ行けばよいと思っていたが、これからは時間を作って行かなければいけないと思い、通い始めたと言っていました。
高文研が「沖縄は基地を拒絶する」という本を緊急出版しました。33人の沖縄人が思いを語っています。今までお会いしてお話を伺った方も何人か執筆していました。今回の旅やこの本を読んで一番感じることは、今まで沖縄で一生懸命闘ってきた人たちが「大和」の人たちに見切りをつけ始めたということです。
語り口はいろいろ異なるにせよ、石川真生さん、国政美恵さん、平良修さん等の意見に代表されます。「平和ボケした大和人」「なにも行動しない大和人」「日本人が変われば沖縄は変わることができる」。ことばのうえでは“沖縄が心配”と言いながらも何の行動も起こさない、自分たちは常に安全なところに身を置き、沖縄人に「来年も応援に来ますのでそれまでがんばっていてください」と能天気に言ってしまう。沖縄の人たちはこのような大和人に見切りをつけ始めました。このように発言する沖縄人がたいへん増えていると感じました。
言い訳はどうでもいえます。私だって行動している、できることはやっている、悪いのは日本政府だ、沖縄に応援に行って何が悪いのだ。しかし、自分の生活の大部分を削って辺野古での阻止行動に参加している人たちと顔をあわせるとき、私は、どう行動したらよいのか?と考えました。
残念ながら、一人の力は大変小さいことは事実です。でも、やっぱり行動していくしかない。たとえ、それがどんなに小さな一歩であっても。そして、少しでもいろいろな人たちとつながることができたらと、考えながら浜松へ帰ってきました。 (池)