網走 ジャッカ・ドフニの旅

 

 冬はオホーツクからの流氷がやってくる網走に、サハリンの先住民族であるウイルタやアイヌの歴史・文化を展示するジャッカ・ドフニという小さな博物館がある。

 ジャッカ・ドフニとはウイルタ語で「大切なものを収める家」という意味である。

この館はサハリンから網走に住むようになった、ダーヒンニェニ・ゲンダーヌの志によって建設されたものである。

サハリン南部は日本の帝国主義侵略によって日本領となり、サハリンに居住していたウイルタなどの先住民族は日本による皇民化教育を強要された。「北川源太郎」、これが日本によってつけられたかれの名前だった。

ゲンダーヌは「土人教育所」に入学させられ、1942年陸軍特務機関により徴兵され、中野学校出身者らの教育により「北方戦線の秘密戦士」とされた。戦争で多くの同胞が死を強いられ、戦後はシベリアで強制労働。シベリアから北海道に来ても国籍はなかった。

戦後日本政府は、ゲンダーヌたちは戸籍法の適用を受けていないために兵役法は適用されず、それゆえ正規の軍人ではなく恩給の対象外とした。召集令状は無効だというのである。裁判の判決もまたこの国の論理を踏襲するものだった。

それは、戦後も継続された他民族への差別と、未完の戦争責任を象徴する判決だった。一方、日本の北方先住民族への徴兵の史実を認めさせるたたかいの中で支援の輪も広がった。ゲンダーヌの歴史については、田中了編『戦争と北方少数民族』にまとめられている(草の根出版会刊)。また妹の北川アイ子さんによる『私の生い立ち』という小冊子が「麦の風文庫」として出版され、ウイルタのイルガ(文様)などとともに館で販売されている。

ゲンダーヌは資料館の建設、少数民族追悼碑の建設、民族の復権の3つの夢を持った。

資料館は1978年、碑は網走天都山の中腹に1982年に建設された。しかし84年かれは死去した。館は現在、ウイルタ協会資料館運営委員会によって運営されている。

大都山の追悼碑は日本による占領と戦争、その後の無責任、民族復権の現状を示す史跡でもある。

網走には道立の北方民族資料館がある。展示は充実している。けれども整然と展示された品と見るものとの間に距離があり、文化は展示されても先住民族の権利への言及はかんじられない。現実の思いと切断されてしまったものとでもいえばいいのだろうか。

ジャッカ・ドフニの展示品は手に取ることができる。また館の設立理由としてウイルタの文化を守ること、ウイルタに関するうその話をただすことがあり、民族復権へのメッセージが伝わってくる。

考えてみれば、戦争をめぐっては、最近、うその話ばかりが宣伝されている、過去の戦争犯罪には蓋をして。

ジャッカ」・ドフニのサハリンアイヌのトンコリ(弦楽器)、ウイルタの衣服、文様、木彫などの展示品は穏やかな雰囲気を見るものに与える。屋外の木彫もサハリン北方の精霊を象徴してその復権を語るように立つ。

1997年、アイヌ新法が制定された。それは先住民族の自決権、居住地での自治権を欠落させた、文化振興のみのものであった。しかしこの法がアイヌ民族の文化の復権をすすめる契機となってきたことは感じる。

網走の流氷館でジャッカ・ドフニについて尋ねると館員のかたがジャッカ・ドフニの展示目録を手に案内してくれた。この本の奥付を見ると、アイヌ文化振興研究機構の助成を受けていることがわかる。この展示カタログはジャッカ・ドフニで入手することができる。阿寒のアイヌコタンの料理店で買った弟子シギ子さんの本『わたしのコタン』もアイヌ文化振興へと手続きした旨が記されていた。文化の振興は政治的権利につながる契機をはらむ。一方で文化のみを切り取り商品化する動きはあるけれども。

阿寒のアイヌコタンのある店の2階が資料展示室になっていて、シマフクロウの哲学的な顔をした彫刻が展示されていた。そこでアイヌ文化振興機構の出した小中学生向けに出した『アイヌ民族歴史と現在』を見た。連絡して取り寄せて読んでみたのだが、現代の政治・社会の欄に一般論で「先住民族の権利」が記されている。その具体的回復は今後の課題であることがわかる。阿寒アイヌ工芸協同組合の編集した『まんが版アイヌ語豆辞典』もわかりやすい入門書である。

阿寒のアイヌコタンやほかの展示館などでCDを手にした。トンコリのオキの『ノーワンズランド』、歌とムックリの安藤ウメ子の『イフンケ』、弟子シギ子ほかの『ムックリの響き』など、2000年前後に出されたものであり、精神性に優れた大切な作品である。層雲峡にあった民芸店でみた、タモの埋もれ木を使った土の色がしみこんだ木彫も印象深かった。

マリモ、丹頂鶴、シマフクロウ、オジロワシ、クリオネ・・・、北の生態系のなかの野生種の生存は危機にある。幕末にアイヌ調査をおこない和人による略奪のさまを描いた松浦武四郎について記した『静かな大地』で、花崎皋平は大地と自然とともに生きた知恵と文化に学び「静かな大地の回復が人類史のはるかなヴィジョンとならねばならない」と記している。

ジャッカ・ドフニ、「大切なものを収める家」ということばを、このようなモシリの復権にむけての指針として記憶していきたいと思った。  (竹内)