大阪・和泉 反戦水兵坂口喜一郎の碑  2003.9

 

大阪府和泉市の黒鳥山公園の東入口の対面に反戦水兵阪口喜一郎の碑がある

阪口は黒鳥で1902年に生まれた。1920年に呉海兵団に入る。兵営内で社会科学の研究グループをつくって活動するが、満州侵略の前月の318月に、治安維持法違反容疑で検挙された。当時かれは海軍の2等機関兵曹だった。 

かれは海軍を追われたが、呉海軍水兵対策委員会をつくり、同志たちとともに、322月に「聳ゆるマスト」を発刊、水兵たちに配布していった。4月刊の4号は100部に及んだという。呉海軍工廠で321月に「唸るクレーン」が発刊されるなど、侵略拠点呉は反戦運動の最前線になった。坂口らの水兵の組織化を目指す活動は横須賀でもおこなわれている。          

阪口は3211月東京で検挙され、呉の現役水兵を含めたメンバーもこのときに検挙された。阪口は呉へと送られ、3312月に広島刑務所で獄死している。31歳の若さだった。

黒鳥小の横は陸上自衛隊信太山基地であり、黒鳥山公園には大きな天皇の碑がある。小さな坂口の碑は戦争の拠点である巨大な軍事基地や天皇の碑と対峙しているかのようである。阪口の碑は死後50周年に建てられた。

和泉市JR信太山駅近くには市民文化ホールがある。この1階に市立人権文化センターがあり、そこに部落解放運動の展示スペースがある。NPO法人「ダッシュ」の事務局もあり、人権ツアーを企画している。南王子の水平運動や和泉の朝鮮人史の冊子なども出版されている。この地域は人権運動の拠点でもある。

戦争とは他者を抹殺する行為が、国家の名において肯定されるということである。それは人間に対する差別にほかならず、人間の尊厳を破壊する行為である。阪口は戦争の虚偽を問い、反戦水兵として活動した。かれの胸には、侵略、差別、抑圧に対する激しい怒りがあったであろう。

「満州」侵略戦争前後のかれら反戦水兵の想いとその活動は、70年の時空を超えて、新たな戦争の時代に生きるわたしたちに、反戦と抵抗のまなざしをおくりつづけている。

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