05夏 沖縄 平和の旅

 

沖 縄 報 告(辺野古)      2005 8/25

 辺野古沖に建設を進めようとしている海上ヘリポートの建設阻止行動に、短い時間ではあったが参加をした。テント村での座り込みの494日目、8月25日の暑い日だった。

体を張り、生活をかけて取り組む監視活動の中心メンバーたちの多くは、全国から集まってきた有志たちである。もちろん、地元のオジーオバーたちも怒りを行動のパワーに変えて、テント村での監視を生活の1部にしている。テント村は「推進派」の漁協のすぐ隣にある。監視行動はおもに、テント村での座り込みと、海上での監視の2つだ。沖合に那覇防衛施設局によってたてられた4つのやぐらにボートで乗り込み、1日中居座ってボーリング調査用の杭を打ち込ませないよう、非暴力の抵抗を続けるというものである。63本の杭が予定ではとっくに打ち込まれているはずなのだが、これまで1本も打ち込ませていないという事実には驚くしかない。

当日の朝、7時半に団結小屋まで来ると、平良夏芽さんが、ピリピリした調子で周りに出発を促している。緊張した空気のなか、我々もライフジャケットをあわてて着ながらボートまで急いだ。8時前にやぐらに到着し、日よけのブルーシートを張って待機する。無線が入り、今日の施設局側の監視船にはダイバーが2人しか乗っておらず、予定されていた台風対策の補強材8本を撤去する作業は明日になるだろうとの連絡を受ける。それでも10時を回った頃、作業船と潜水士船、監視船が我々のいる第3ポイントのやぐらに近づいてきて周りを取り囲んできた。

今日の撤去作業の交渉をするため、やぐらの2人が監視船に移動する。補強材の撤去作業自体は何の問題もないのだが、その際に漁港を絶対に使用しないというのが作業の条件だった。交渉は30分ほどで終わったが、話し合いは終始穏やかな談笑といった雰囲気で行われた。交渉の相手は「さんこう」か「パシフィック」という工事を請け負う会社の人間だが、「交渉決裂!」などとおどけた調子で叫んだりするのをみたとき、地元の人同士の複雑な関係を見てしまったような気がしてならなかった。
 監視メンバーの人たちは、いつ何が起こるか予測できないため、常に緊張を強いられながら、相手方とにらみ合う毎日を送っている。数時間だけ参加したことが恥ずかしくなるようなテント村の人たちの迫力に圧倒されながら、辺野古を後にした。(石)  

                 

             

貧富の格差だけではない、情報の格差も

 今度私が沖縄にいた8/21〜8/27の間に、沖縄では米軍がらみの大きな事故が三つ起きている。

@      国道58号線、嘉手納役場のすぐ横で実戦訓練が行われ、爆音・煙が役場に充満し、大問題になっていた。

A      沖縄自動車道で米軍トラックが那覇から許田まで3〜5往復する訓練が行われ(もちろん高速代は「おもいやり予算」から)、普通車と事故を起こしている。しかも国も県もこの訓練を把握していなかった。

B      キャンプ・シュワブで水陸両用車が民間道を走行した。

これら三つの事件で沖縄は大騒動になっていたが、大和ではどれ程問題になっていただろうか?

 

 辺野古に座り込みに来ていたTさんは「もう温度差なんてものではない。日本政府の沖縄に対する温度なんてゼロだ」と言っていた。そしてこんな話を聞かせてくれました。ある女子高生が数年前、米軍兵士に強姦された。勇気をふりしぼってその事を新聞に投書し、前文が掲載された。この新聞を見て、町村外相は、「この投書は軍隊が平和を守っていることが抜けているな」という感想を述べたそうです。

 大和人の私はこの事を知りませんでした。そしてこの町村外相のことば。これが私達の選んでいる政治家の発言であることが何とも腹立たしい。                (池)

 

歴史を捏造しようとする人たち:

「大江・岩波訴訟」と沖縄の記憶

 8月26日〜29日、沖縄平和ネットワーク主催の「戦跡・基地ツアー」に参加した。26日は渡嘉敷村の「集団自決」の跡地を、「集団自決」の証言者・金城重明さん(沖縄キリスト教短大)の案内で回った。金城さんは45年3月の渡嘉敷での「集団自決」で自ら家族に手をかけた。その金城さんが「集団自決跡地」で語る言葉は血を絞り出すように重く、炎天下にも関わらず寒気さえ覚えるほどだった。「言葉による自決命令は必要ではなかった。軍隊によって集団死に追いこまれる状況ができていた。米軍上陸1週間前に軍から手榴弾が2発住民に配布され、1発は米軍用、もう1発は自決用だった。」「軍官民運命共同体を肌で感じていた」「“集団自決”は直接手を下さなかったが日本軍による“虐殺”だ。」

今年8月5日、沖縄戦での座間味・渡嘉敷での「集団自決」に軍命はなかったとし、旧日本軍の両島守備隊長やその遺族が『沖縄ノート』の著者・大江健三郎氏と出版社の岩波書店を、名誉毀損で提訴した。
 これに先立つ5月末、「自由主義史観研究会」9名(藤岡信勝『あたらしい教科書をつくる会』副会長など)が沖縄を訪れ、2泊3日の座間味・渡嘉敷での“調査”を行い、「集団自決に軍命はなかった」という“証拠”を得たと発表。「“集団自決を軍が強要”の記述を教科書から削除するよう運動を始める」と宣言(6/4)。

 教科書採択の手続き期間に行われたこの一連の動きが「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を否定しようとする流れの延長線上にあるのは明らかだ。「軍隊は住民を守らない」どころか「軍隊は住民に死を強要し、あるいは銃を向ける」実体験を持つ沖縄民衆の記憶は、イラク派兵・有事法制推進・教育基本法改悪・憲法改悪という現在の日本の流れにとっては「のどにささったトゲ」なのだ。だから連中はそのトゲを必死で抜こうとする。歴史の捏造までやって。       (井)