Namaste!ネパール紀行 2010.12〜1

 

 年末年始の休暇にネパールを訪れた。2003年以来9年ぶりの訪問だったが、この9年間そして今現在ネパールは大きくその姿を変えようとしている。かつての「ヒマラヤの王国」現在「連邦民主共和国」ネパールの「今」の一面を伝えたい。

 その前に私(たち)とネパールとの「出会い」について少し触れたい。話は20年ほど前にさかのぼる。当時ネパールから「出稼ぎ」に来ていたD青年が浜松近隣で労災に遭い、その問題に私たちの仲間が関わる中でネパールという国を具体的に意識したのだった(「外国人労働者と共に生きる会・浜松(へるすの会)」発足の頃の話)。それまでは「インドと中国の間にあるヒマラヤの国」程度の知識(意識)しか持っていなかった。D君の帰国の際に催したお別れ会で彼が言った言葉「ネパールにも来てください」が結果的に私(たち)をネパールに引きつけてくれた形となった。D君以外にも「出稼ぎ」に来て賃金不払い等の被害にあったり心臓病を患うなどいろいろなネパール人と関わることとなり、また、私を含めて何人かがトレッキングや医療支援などいろいろな形でネパールを訪れることになったのである。

 歴史、政治。人口約2600万人、かつて「ヒマラヤの王国」だったネパールにも「民主化」の波が押し寄せ、1990年反政府運動の高揚の下、支配勢力=パンチャヤット体制が崩壊。1990年代後半からはマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義者)が武装闘争を開始。王制廃止を訴える。2001年にビレンドラ国王(当時)一家が王宮内で射殺されるという事件を経てギャネンドラ国王が即位。2005年ギャネンドラ国王が軍事クーデターで全権掌握。一方でマオイストの武装闘争が更に激化し、政情が流動化。2006年政府軍とマオイストが停戦合意。2008年制憲議会選挙でマオイストが第一党になり、王制廃止。連邦民主共和国に。マオイスト、ネパール会議派、統一共産党(UML)等の主要党派間の軋轢で首相が2010年6月辞任。以来度重なる投票でも首班が決まらず、国連監視団も任期を終えて撤収した。新憲法制定はこれからである(「地球の歩き方・ネパール」(ダイヤモンド社)、’Nepal Yearbook 2010’, NYB Publications)。(追記、去る2月3日、17回目の投票でUMLのジャラ・ナート・カナル議長が新首相に選出された 2011.2.4「朝日」)。



写真は統一共産党主催のデモ。カトマンズ・タメルにて

 歴史的にも関係の深い隣国・インドは、経済的・政治的にもネパールに大きな影響力を持つ。それは経済援助のようなプラスのものばかりではなく、例えば今でも国境をめぐる軋轢があり、過去にも政治的軋轢からインドからの輸出制限が行われ、経済的な苦境に陥ったこともあった。その結果、ネパールはもう一つの隣国・中国との関係を模索しつつある。ただ「チベット難民」というセンシテイブな問題があり、「綱渡り」を演じることもあるようだ(ダライ・ラマの肖像を目に触れる場所に掲示するのが禁止されたこともある)。国内にはチベット難民キャンプがいくつもあり、経済的にも社会的にもネパールの一部となっている。カトマンズやポカラには難民支援のための毛織物の生産技術の訓練施設がある。

経済、労働。農業と観光が主産業のネパールは、低迷する経済の中、若者を中心に多くの労働者が海外で働いている。日本以外でも韓国、ヨーロッパ、湾岸諸国などさまざま。湾岸諸国では40万人が働き、うち8万人は「違法」状態という。賃金不払い等でその職場を辞めてしまい「違法」となった出稼ぎ労働者は医療保険が適用されず、またパスポートも元の雇い主が保管しているため、帰国前には刑務所に収監されざるを得ない状態である(’Nepal Yearbook 2010’)。電力事情は悪く、特に首都カトマンズでは毎日何時間も停電があり、「停電予定表」が配られているほどである。この電力不足のため、国内最大のセメント工場(Udaypur Cement)が閉鎖を余儀なくされた(現在はインドの会社と合弁の新セメント工場が建設中)。世界銀行(WB)は、この電力施設の建設、農業支援のため1億9百万米ドルの融資を行う契約をネパール政府との間で交わし(2010.8.21)、更に地方の道路・吊橋建設への融資の契約も交わした(8.26)。実際、ポカラから聖地ムクテイナートまでは既に自動車道路が開通し、電力施設も建設され、沿線の村々は急速にインフラが整備されつつあるのを目の当たりにした(自然のままのヒマラヤの麓を歩きたい海外からのトレッカーは複雑な心境だが・・・)。

社会。猛烈な勢いで情報化が進む。ラジオ(172局が既に開設。更にほぼ同数が許可待ち)、テレビ(24時間放送開始(4.13)。それまでは午後0~5時は放送なし)。インターネット(イスラエルの電信会社がNepal Telecomと契約。ブロードバンド衛星通信網でネパールの数百の地点をカバー。無料電子版新聞も始まる: www.ekantipur.com)。特に携帯電話の普及は目覚しい(Nepal Telecom が通話料値下げ(12.16))Yearbook)。メデイアは消費文化を宣伝し、欧米のファッションのCMが絶え間なく流され(どこの国も同じだが)、流行に敏感な若者たち、とりわけ女性はその強い影響下にあるようだ。特に都市部では従来の民族衣装をまとった若者は少なく、ロングブーツにジーンズやミニスカートといったファッションを楽しむ若者が増えている。王制廃止を経て民主主義を経験しつつあるネパール社会だが、経済の停滞から脱却するため強力な指導者を求める声をよく耳にした。中には「王制の方がよかった」「指導力があるなら王の方が他国から信頼される」と漏らす人もいた。しかし、「これからのネパールはどうあるべきか」「民主主義とはどうあるべきか」などを熱く語る若者たちの存在は希望を感じさせるものだった。

 今回、この若者たち以外にも心励まされることがいくつかあった。その一つが上記のチベット難民支援センターであり、Women’s Skill Development Project’(WSDP)である。後者は女性の自立を支援するフェアトレードグループで、染色・織物の技術指導を行い、高い品質の製品を作って海外に輸出(フェアトレード)している。日本のJICAもボランテイアで関わっているようだ。また今回のトレッキングガイドの男性は自分の出身の村の発展のため、仲間と共に村人に呼びかけて電力施設・学校・農業施設などの資金を集めて建設を進め、既に電力施設は国の補助も受けて完成してしまった。あるいは、ある村ではトレッカーを受け入れてその収入を個人のものにするのではなく村全体でプール、分配するという。

 ヒマラヤという大自然、開発と自然保護、経済の停滞、情報化、社会の変化、不安定な政治、海外からの影響・・・。短い期間で見えたものは少ないかもしれないが、私の中の一部はまだネパールにあるような気にさせる、そんな中身の濃い旅となった。これからは体力の低下をなんとか食い止め、何年先になるかわからないが再びネパールを訪れ、ヒマラヤに抱かれながらまたトレッキングを楽しみたいと思う。(井)