韓国 全州・光州の旅 1993年3月
1993年3月、アジアを考える静岡フォーラムは韓国全羅道を中心に旅行をおこなった。
以下はその旅の報告記事である。
●ソウル
反核資料室を主宰する金源植さんのガイドでソウルの町を歩いた。旧朝鮮総督府・景福宮・歴史博物館・安重根記念館などをみた。金さんは「アメリカ流の消費文明に首まで使って文化的に洗脳されている。アメリカのモノカルチュアを食べさせられている。ソウルへと4000万人中3人に1人が群がるように住んでいる。米軍軍政の支配力、韓国の政権の腐敗、日本資本の影響力、これらの問題を抱える状況を韓国病とみる。この国は死にかけている・・」と語る。それは日本も同様だと思う。
環境グループが経営する店での食事もあった。金さんは歴史にも造詣が深く、「鳥居のルーツは朝鮮の『ソッテ』にある」という話にも関心をもった。
1989年に学校での労働組合を結成した全教組の本部も訪問した。全国150の支部を持ち、解雇者を多く抱えているが、学校での運動だけでなく、環境運動・労働運動・統一運動を韓国各地で支えている。全教組の役員が「労働に対する観念を変えたい」「正しい教育をしたい」「1500人の解雇者を抱えているが韓国の歴史のなで全教組は肯定的なものだ」と凛と語る姿が印象に残った。
全州に向かう途中で、独立記念館と民俗村を見た。独立運動では李承晩の活動は評価されるが、社会主義的な運動については表現されていない。ここに独立記念館の展示のひとつの特徴がある。反日感情が支配者によって利用されているようでもある。そういえば独立記念館を作ったときの大統領は全斗煥だった。民俗村では被差別民の白丁についても学んだ。
●全州
全州では全教組全州支部の案内で、東学農民運動の史跡を見た。また地域の労働運動との交流会もおこなわれた。出会った全州支部の人々も約半数が解雇されていた。解雇者の中の柳永振さんは全州の市議に当選し、地域の運動に参加していた。
訪問団の報道を聞き、全教組の事務所に戦争犠牲者遺族会の人々が訪れ、ラバウルへの強制連行に対する郵便貯金不払い問題などを訴えた。
井邑郡には東学農民運動の史跡が多数ある。全教組の歴史の教師の案内で、東学革命謀議塔、古阜郷校、全?準生家、黄土?戦跡、萬石儘遺址碑、白山城跡などを回った。
東学革命謀議塔は、後世の子孫が先の世代を顕彰し、このように闘ったのだと誇りを持って建てたものだった。現地では「運動」ではなく「革命」として顕彰されている。黄土?戦跡には農民運動のスローガンを刻んだ大きな甲午東学革命紀念塔が建っていた。農民が立て籠もった白山城跡にも東学農民白山倡義碑があった。東学記念館には農民戦争で使われた武器や記録などが多数展示されていた。
全州では民泊をした。その際、韓国語と英語を使った話し合いで、『日本の植民地責任だけが問題ではない、米軍がその後何をしたのか、その責任追及が大切だ』と語り、写真集を持ち出し、白頭山の大きな写真を示し、『ユニティフィケーション!(統一)』と語る姿に、感銘した。全羅北道のある解雇教師のこの語りから、この国の民主化に向かううねりの強さとその共有感覚の伝播を知り、熱い想いを感じた。
●光州
光州では光州普通高校と光州女子高校で光州学生運動の碑や展示史料をみた。東学農民戦争は、その後の反日義兵運動、3・1運動、光州学生運動、反日独立運動、労農運動、解放後の南朝鮮労働党、4月革命、民主化闘争、光州蜂起、現在の社会運動へと水脈を連ねる。民族統一と民主化運動の中で、反米や独自の社会主義の視点が提示されるようになったが、そこにも東学運動を担った志向性が反映されているように思う。
光州普通高校には光州学生独立運動記念碑があった。光州女子高校には光州学生独立運動女学徒記念碑があり、展示には独立運動を担った読書会グループの写真なども展示されていた。朱末順、姜卯禮、崔豊五・・と、みな若い女学生たちだ。「名前のない星たち」という劇の脚本も置かれていた。
1980年の光州事件の経過を全羅南道の庁舎前で聞き、光州事件犠牲者の墓碑群を望月洞墓地で見た。望月洞墓地の入り口には全斗煥の名を刻んだ石が埋め込まれ、それを踏んで入るようになっていた。政府が認めた事件の死者数は1900人余、実際の死者数はさらに多いという。望月洞の墓石には赤や黒の布の鉢巻が縛られていた。風に旗や横断幕が揺れる。墓石の横に飾られた人々の若い顔写真などは、見るものの心を揺るがす。なかにはウエディングドレス姿の女性の写真もある。韓国式に跪いて拝礼する姿が目に入る。この地で光州蜂起は5・18精神として継承されていた。
おわりに
韓国の市民運動の人々と交流し、韓国で社会正義の実現を世界の運動に学びながら進めていること、自国の社会運動の歴史を各地域で大切にして継承していること、南北の統一や民衆の連帯をもとめる想いが強いこと、戦後の米国の軍事的支配への批判が強く出てきていることなどが分かった。このような歴史と想いにつながる生を歩みたいと思った。
※ その後、全教組全州支部の解雇者は復職を勝ち取った。
(1993年4月記・竹内)