第92飛行場大隊
1938・8・1 南苑で独立飛行第3・第15中隊から飛行第98戦隊と第92飛行場大隊を編成 南苑
1939・1・1 主力を漢口・一部を上海・南京へ 漢口
1939・4・16 主力を杭州へ、5・30彰徳へ、6・13南苑へ 杭州
1941・12・29 コタバル上陸・タナメーラ飛行場へ タナメーラ
1942・1・17 アイエルタワルへ アエルタワル
1942・4・28 アロルスターへ アロルスター
1942・8・17 ラングーン上陸、メークテーラ・へホ・マグエ・アキャブ各飛行場へ
1943・1・19 シンガポール上陸、3・ケチルへ、一部を第90飛行場大隊に差し出す ケチル
1945・5 タボイからタイへ
1945・8 敗戦、1946・6タイから浦賀へ復員
第96飛行場大隊
1938・8・1 南苑で飛行第6大隊から飛行第60戦隊と第96飛行場大隊を編成 南苑
1939・7・4 運城へ、1940・9南苑へ 運城
1940・9・30 広東へ、12月南苑へ 広東
1941・3・11 ハノイへ、6月南苑へ ハノイ
1941・7・20 サイゴン上陸。8・6プノンペンへ プノンペン
1942・1・28 ジョホール州エンダウ上陸 マレー
1942・3 シンガポールからルソン島マヒラオ上陸 ルソン
1942・5・20 マニラから武昌へ(6・22) 武昌
1944・3・31 一部を第60飛行場大隊に差し出す
1944・7 衡陽に展開 衡陽
1945・9・2 停戦・1946・5博多復員
第17飛行場大隊
1938・8・15 飛行第12連隊から飛行第12戦隊と第17飛行場大隊を編成 公主嶺
1938・10 9・27彰徳へ・漢口攻略等の作戦 彰徳
1939・5・13 公主嶺へ 公主嶺
1939・6 ノモンハンへ(〜7)
1941・8 102号作戦 運城
1941・11 プノンペン着 プノンペン
1941・12・8 主力はカムラン湾、一部はプノンペン、のち主力はアロルスター
1942・3 ランパンへ・第2次ビルマ作戦 ランパン
1942・6 マレー・クルアン着 クルアン
1942・9 トングーへ、一部アロルスターへ トングー
1942・12 トングー・メークテーラへ(〜1943・9) メークテーラ
1944・3・25 一部を飛行第12戦隊と第80飛行場大隊に差し出す
1945・8 タイ・ロップリーで敗戦、1946・6浦賀復員 ロップリー
第46飛行場大隊
1939・2・10 第17飛行場大隊から編成 公主嶺
1939・3 佳木斯へ(〜1942・10) 佳木斯
1942・11 綏化へ(〜1943・2) 綏化
1943・3 スマトラ・メダン着・本部をメダンへ メダン
1944・3・25 一部を飛行第58戦隊・第89飛行場大隊に差し出す
1945・8 敗戦・1946・3シンガポールで作業隊、1947・9佐世保復員 シンガポール
第28飛行場大隊
1941・7・8 浜松・飛行第7戦隊で編成 浜松
1941・8・12 ハルピンへ
1941・12・10 フィリピン・ルソン・マバリー・ツゲガラオ飛行場に展開 フィリピン
1942・3・1 ジャバ島メラクに上陸
1943・2 アンボン島ラバへ アンボン
1943・4・5 ハルク島飛行場設定へ(10月完成) ハルク
1944・4・14 飛行第14戦隊に一部人員を出す
1945・8・15 敗戦、10月セラム島集結、1946・6田辺復員
第38飛行場大隊
1941・7・26 飛行第7連隊で編成 浜松
1941・8・20 公主嶺到着 公主嶺
1942・9・9 ジャワ島カリジャッジ飛行場へ(10・2) カリジャッジ
1943・3・20 第1次豪州作戦、アンボン・リヤ、セラム・アマハイ飛行場
1943・9・2 東部ニューギニア作戦、ウェク・ブーツ・ホランジア
1944・4・13 一部を第70飛行場大隊に差し出す
1944・4・25 ホランジアからサルミヘ(7・1) サルミ
1945・9・2 停戦・収容所へ、1946・6名古屋復員
第80飛行場大隊
1943・2・25 浜松で編成 浜松
1943・2・27 八戸(〜11・26) 八戸
1943・11・28 計根別へ、44・1・31一部を飛行第67戦隊に差し出す 計根別
1944・3・9 千島へ、5・1得撫島へ 千島
1945・3 天寧へ 天寧
1945・8 敗戦、9・2児島湾地区でソ連軍により武装解除
第40飛行場中隊
1943・11・30 浜松で編成 浜松
1944・12・25 派兵、1・3宇品・フィリピン・ハルマヘラ経由アンボン島リアン飛行場へ リアン
1945・9 アンボン生存者は収容所へ、1946・6復員
第47飛行場中隊
1944・2・29 浜松で編成
1944・3・2 派兵、5・2マニラ上陸、主力はマニキラ飛行場、一部はクラーク飛行場へ
1944・10 84人をレイテへ送る
1945・2 マニラ東方山中で地上戦闘
1945・9 ルソン島で停戦
第108飛行場大隊
1944・2・29 浜松第105教育飛行連隊(重爆機教育)で編成 浜松
1944・4・13 門司から南方へ、5・9ハルマヘラ・ワシレ、5・28マクノワリ、6月ムミ飛行場に展開 ムミ
1944・7 ワシレからメナドへの移動部隊200人連絡杜絶
1944・8・17 航空部隊ハポ集結、イドレへ(9〜11) イドレ
1945・6・6 第119飛行場大隊(1944・4・29編成)に249人転出、アラマサ地区で自活(1944・10〜45・9)
1945・9・2 パポで武装解除1946・2セレベス・マリンプンで自活、5月復員
第126飛行場大隊
1944・5・30 浜松第7航空教育隊から編成 浜松
1944・10・8 門司発、11・23クラーク飛行場へ クラーク
1944・12・26 サイゴン上陸
1945・2・1 フーミイ飛行場へ、第18飛行場大隊から任務を引き継ぐ フーミイ
1945・3・14 ビエンホア飛行場へ、8・10第204戦隊残置隊転入 ビエンホア
1945・9・2 停戦、46・5鹿児島復員
第139飛行場大隊
1944・7・19 浜松で編成 浜松
1944・8・14 門司発、8・24台湾基隆港上陸、8・27桃園に展開、 桃園
1944・12・3 台中に展開 台中
1945・8・15 敗戦、1946・2復員
第61飛行場大隊
1944・8・20 浜松で編成(浜松に駐屯) 浜松
第211飛行場大隊
1945・2・25 浜松第7航空教育隊から編成 浜松
1945・3・1 釜山へ、主力は群山、一部は新義州へ 群山・新義州
1945・5・11 木浦東飛行場へ 木浦
1945・8・15 敗戦・10月仙崎復員
第157飛行場大隊
1944・6・30 浜松三方原で編成
1944・8・6 門司港発、8・22マニラ上陸
1944・9・16 北部ルソン・ケチアゲ飛行場に展開
1944・9・24 ケチアゲ北・ツゲガラオ南飛行場に隊員派兵
1945・4・28 第14方面軍第3菊水隊(斬込隊要員)に31人
1945・4・30 臨時歩兵第19大隊に151人(生存者6人)
1945・6・14 ケチアゲ南付近地上戦闘、以後ピナパカンで自活態勢
1945・9・2 停戦