南  に  い  る          里     檀

 

 

     わたしを呼ぶものがあるとすれば、それは南にいる

     

     そう、わたしは呼ばれるままに歩いて行きたかった

     道を隔てさとうきび畑が広がる、その中に

     皆はなぜ振り返らないのだろう、なるほど、

     こちらへ歩めと北に標がありはしたものの

 

     わたしを呼ぶものは何か

     ただ導かれて往くわたしの傍らに審神者がいたならば

     わたしの口から洩れる呟きからその正体を知らせただろうか

     その確かな位置を教えただろうか

     否

 

     この國はあまりに死者の影が濃い

     審神者にひとつを聞き分けさせるのは酷くさえあるだろう

    (一歩一歩ごと、足裏に死者のささやきが這い登ってくるのだから)

 

     畑を行き野を分けて森で落葉を踏みしだき

     また、洞窟の端を行き過ぎて川を渡り

     アダンの林に臨めばやがて遠くに輝くもの、

 

     この國の太陽に照り返すま白の珊瑚砂の浜

     さらにざく、ざく、ざくと足を進め

     いつか岩陰に歩みを止めれば

     そこにわたしを呼んだそのひとがいた

 

 

     砲弾に穿たれた孔にさかしまに倒れこみ

     虚空を睥睨する、

 

 

     母

 

 

 

( 2007 ・ 8 ・ 9 )

都会にて

里  檀

 

 

二○○七年九月三十日、

街には細く冷たい雨が降っていた

 

 

窓の向かいはビルの骨組みが

立ち上がろうとしている工事現場だ

ラジオ体操の声が洩れ伝わる朝、

まだ喧騒は訪れて来ない

  

わたしと母はひとつ階段を降りて

そのダイニングルームに落ち着いた

都会の隘路に紛れた小さなホテル、

小さな、絵の掛けられたダイニング

 

頼んだものは和定食、

でも、ベーコンエッグにサラダがついて

和風なのはお茶と味噌汁、それからつけもの

笑いながら口にすれば

あら、考えていたよりずっとおいしい、と母

ご飯がおいしい、とわたし

三十年ぶりの母子のささやかな旅の

ささやかなひととき、そのひとときに

そこにいたあなた

 

ついさっき、

わたしと母に朝食の盆を運んだあなた

今あなたはダイニングの片隅の椅子に座り、

少し視線を上に向けてじっとそれを見ていた

 

二○○七年九月二十七日、ヤンゴン、

デモを映していた日本人カメラマンが

治安部隊の兵士に背後から撃たれる

その瞬間を

繰り返し繰り返しテレビが映し出す、

その瞬間を

 

民衆が群れ走り出し、

それを彼が追って走る、そして

突然身を投げ出す、倒れる、傍らを走り抜ける兵士

民衆が群れ走り出し、

それを彼が追って走る、そして

突然身を投げ出す、倒れる、傍らを走り抜ける兵士

民衆が群れ走り出し、

それを彼が追って走る、そして、

 

あなたは目をそらさない

あなたは目をそらさない

あなたは目をそらさない

その画面から

 

 

 

二○○七年九月三十日、街には

静かに細く冷たい雨が降っている

若い二人の異国の娘がダイニングを訪れて、

雨に濡れた工事現場に向かう席に座った

振り向いて立ち上がり、注文を取ろうと

あなたは彼女らに歩み寄る

『TWO TEA、PREASE』

トゥ ティー、プリーズ、

取材をしていたカメラマンが、とテレビは繰り返す

トゥ ティー、とあなたが繰り返す

トゥ ティー、と娘たちが繰り返す

 

ごちそうさま

わたしと母は立ち上がった

これから目当ての店が開くまで、

部屋でひっそりと雨の音を聞こう

わたしたちは美術館へもおいしい店へも行かない

友人のドレスを作るための布を買いに行くのだ

ありがとうございました、とあなたが言う

おいしかったわ、と言うとあなたは微笑んだ 

泣き笑いの表情だった

 

雨が降る

細く冷たい雨が降る

暑い国で死んだ人が暮らしていたこの街に

その死から目をそらさないあなた、

あなたがいるのならば、それならば

未来はしなやかに時代を綴っていくだろう

そんなことを確信しながら

雨の街へ、わたしと母はひとつの傘で歩き出す

(ニ〇〇七・一一・九)