1 満月夜・大地と生命にむかう解放歌の交差

−満月まつり浜松コンサート2001.4.8−

 

4月8日、龍泉寺(鼠野町)で満月まつり浜松コンサートがひらかれ、140人ほどが参加した。

 満月のコンサートは琉球浜太鼓の6人のエイサーではじまった。自ら振付けを考え、造形されたエイサーの演技と大太鼓の響きは、沖縄の大地とそこに住む人々の自由への想いへと人々をさそった。円陣からはじまる「豊年音頭」がはじまると会場はもりあがり、カチャーシーとなった。

 OKANOは「荒城の月」など月にかんする曲をピアノで演奏。SANの高木健は生命や平和を抽象的に語るのではなく、浜松市による野宿者への生活保護打ち切りという現実から生命と平和の現在をみていくことを語り、支援を訴えた。市川誉は「乾杯」「田園」などを歌い、生命への想いを沖縄・韓国へ届けようとした。

 国鉄詩人連盟の地引浩はリストラのはじまりとしての国鉄分割民営化について語ったあと、現職を奪われ、駐車場へと不当配転されるなかで作った「挽歌」「切り取られた空の下で」「Kよ」という詩の朗読をおこなった。

 月桃三線団は「てぃんさぐの花」「ジントヨー」ほかの沖縄民謡を演奏し、沖縄の民衆精神、反基地反戦への想いを会場にとどけた。

 会場となった龍泉寺住職の薬師寺さんは音楽を愛する者たちがあつまり、満月夜、全国各地での平和への想いを共有しながら集うことの意義を語った。

 コンサートは第2部に入り、アポリジニやアフリカ楽器で編成されたパーカッションバンドTOKIWAが登場。パーカッションのリズムはしだいにテンポを早め、満月夜の大地のリズムと共振しながら、人々を踊りへとさそった。エイサー隊のメンバーも踊りに参加した。パーカッションは沖縄−アボリジニ−の大地そして世界を共有しながら、普遍的根源的な鼓動の空間を形づくった。

 高橋忠史は「シャボン玉」を例に存在の弱さとそこからの共存の視点を示し、戦争になれば最初に死に直面する人々の地平から平和の大切さを語った。そして最後につれあいへの愛の唄を歌った。

 NO!NO!バンドは「NO!AWACS」「朝露」「反戦のバラ」を演奏し、反戦平和への意思と希望と情熱を歌った。

 最後に出演者・会場が一体となり「花」「豊年音頭」を歌った。豊年音頭のカチャーシーではアボリジニの太鼓・沖縄の三線・パーランク、掛け声が交差した。歓声があがり、平和への想いを共有しあうリズムが会場を包みこんでいった。

 『再びここで「満月まつり」をやろう』という声のなか、3時間余のコンサートはおわった。夜が更けるとともに満月は一層その輝きを増していた。生命と平和を基調としたリズムと歌のアンサンブルにつつまれた満月夜コンサートだった。

「錆びついていく正義を 研ぎ澄まそうと  

爪先立ちのまま 我らの解放歌を 口ずさむ」(地引浩「切り取られた空の下で」から)

                                                           (T)