アキバ君

地引 浩

アキバ君

君は海に行けばよかった

尽きることなく打ち寄せる波を

ただただ 追い続けることができたろう

君の心に宿ってしまった憎しみを

いつしか波が打ち砕いてくれたろう

 

アキバ君

君が山に登っていたのなら

次つぎと湧き上がる雲を

ひたすら 見続けることができたろう

君の胸に深く沈んでいる悲しみを

空高く雲が運んでいっただろう

 

アキバ君

君は引き返せなかったか

行きかう見知らぬ人々の背を

ぼんやりと 眺め続けるだけよかった

君の明日を覆いつくす絶望さえも

君だけのものではなかったのだから

 

 (2008.10.31)

ほんの少し弱虫だったなら

   浜松基地自衛官人権裁判によせて

地引 浩

 

あなたが

ほんの少し 弱虫だったなら

あなたはそんな遠くには行けなかったろう

妻や幼子と

あなたは 今も暮らしていたことだろう

 

そう

あなたが耐え続けたのは 十年

Nとあなただけの「shop」という職場

毎日毎日のNのパンチもNの蹴りも

あなたを壊しはしなかった

だけど

Nの怒りや さげすみや 仕打ちが

あなたの 心を引き裂き 踏み潰した

そして

あなたは 行ってしまった

南十字星に会うために

 

あなたが

もし 自衛官でなかったなら

つらくて悲しくて苦しくて泣いただろう

妻も父も母も

あなたを 引き止めることができたろう

 

そう

あなたが笑いを無くしていくのは 十年

Nとあなただけの「shop」という地獄

毎日毎日 Nは怒鳴り Nは嘲り

あなたは心を固めて耐えた

だから

Nの妬みや 嘲笑や 気まぐれが 

あなたの心を 打ちのめし ボロボロにした

そして

あなたは 小さな星になった

南十字星のすぐ傍の

            

 (2008.11. 7)

十二月二十七日と一月五日

 

十二月二十七日と一月五日が

 議論している

  ハケンとキカンコウの解雇について

 

十二月二十七日と一月五日が

 口論になった

  どちらが人道的であるかと

 

一月六日

 ハケンもキカンコウも

  工場の門から入ることはできない

   たたかうことなしには

 (2008.12.31)

 

明星と三日月と

地引 浩

 

男はベッドに腰をかけている

破れた壁と屋根の隙間から

明星と三日月が覗いている

サン・ルイス渓谷を見下ろす

かつての奴隷監視塔のほとり

男の朽ちかけた住処を

修理できる順番はまだ先になる

夕餉の豆のスープの匂いが残っている

男は大きくあくびをする

男のまぶたが重くなってくる

今日は一月二十八日

ホセ・マルティの誕生日

男の休日は明日の次の次の次

明日のために眠りにつく時だ

男は妻に語りかける

 

男はあてもなく街を歩いている

溢れる街の灯とビルの間に

明星と三日月が潜んでいる

ハママツ駅近くの裏道を進み

石造りの公園に突き当る

男の疲れはてた魂を

横たえるベンチすらそこにはない

肉と油の焦げた匂いが漂ってくる

男は小さく息をはく

男の胃袋が勝手に泣きだす

今日は何曜日だろう

あれから何日経ったのか

男には住処も食べ物も明日も

話しかける相手さえいなくなった

男が職を失った日から

(2009.1.28   キューバ トリニダーにて)

はけん花の罠      地引 浩

 

立ち止まったろうか

ジャスミンに似た

花の香りの虜になっていた

本当は

心優しい あなた

 

あなたは いま 疲れている

心地よい花の香りと

人売り会社の闇に戸惑って

 

そう それが

誰でも酔わせる はけん花の罠

売られた者らをも

欺いた はけん花の罠

 

 

振り返っておくれ

ジャスミンに似た

花の謎を解きかけている

本当に

優しすぎた あなた

 

あなたも また 傷ついている

妖しい花の香りと

売られた者らの嘆きの声に

 

そう それが 

誰にも見えない はけん花の罠

売っていた者らさえ

売られる はけん花の罠

 

(2009.4.22)

月 桃

地引 浩

 

月桃に花が咲いて

白い白いつぼみの玉が

いくつもいくつも風に揺れると

いくさの日々の島を想う人がいる

 

月桃に花が咲いて

白い白いつぼみの先の

真っ赤な真っ赤な口紅に触れて

散っていった娘らに涙するおばぁがいる

 

月桃に花が咲いて

白い白いつぼみについた

大きな大きなしずくが光り

背負った幼子の泣き声を聞くおかあがいる

 

月桃に花が咲いて

白い白いつぼみが割れ

金色に輝く花びらが覗き

いくさ世の終わりを悟ったおじぃがいる

 

(2009.7.30)

書いてはならないもの

― Yさんの元同僚五人に

地引  浩

 

書きたいものがある

書きたくないものもある

書かねばならないものがある

書いてはならないものもある

 

あなたたちは書きたかったのか

そんなはずはない

あなたたち一人ひとりの「意見書」に

積極的な意味はいささかもないからだ

 

それでは書かねばならなかったのか

何のために?

あなたたち誰一人にさえ

あのことの責任は何も問われていないのに

 

あなたたちは上からの指示に

書きたくないと言えなかったのか

どうして?

あなたたちの五通の「意見書」の

使われ方は知っていたはずなのに

 

Yさんは死んだ

朝五時 初秋の陽が昇る前に

全身に灯油をかぶって

Yさんはライターを灯した

自分自身を焼き焦すために

公園の駐車場に車を停めて

 

Yさんは死にたかったのか

どうして?

学校が好きで子供たちが大好きで

なりたくてなりたくて教員になったのに

 

あなたたちは悲しまなかったか

若い新任教員の死を

あなたたちは問わなかったか

何かできることがなかったか と

 

でも

あなたたちは「意見書」を書いた

「少なくとも四年次を除いて荒れたクラスでなかった」 と

何のために!

 

あなたたちは書いてはならなかった

 

あなたたちは書いてはならなかった

あなたたちのために

(二〇〇九.八.二七 第六回口頭弁論の日に)